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シリアのトイレ事情

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  『文化

 初めてシリアのトイレを使ったときに,ティッシュはくず箱に,との貼り紙があった。ははあ,これが噂の,と思った。事前にインターネットで集めたシリア情報に,『シリアでは紙を流さずに備え付けの箱に入れましょう』というのを見つけて,トイレの使用方法に少々不安を感じていたのだ。
         トイレ

 シリアのトイレは,和式トイレに似ていて,前方の金隠しがない形である。その穴にしゃがんで,使用後は紙を使わず,水で洗う。だから,紙の代わりに蛇口や蛇口につながれたホースがあったりする。このとき,イスラム教徒であれば,『不浄の手』とされている左手を使って体を洗う。手動ウォシュレットだ。汚れさえ落としてしまえば,乾燥したこの地域ではすぐに乾いてしまうから,水分を拭き取る必要はない。
               トイレ2

 もちろん,不慣れな異教徒は,紙を使っても構わない。但し,紙を使うことが想定されていないつくりのトイレに紙を流すと排水管が詰まってしまうため,紙は流さず,屑箱にいれなければならない。観光地には大抵,外国人用に紙と箱が置いてあったりするけれど,ない場合もあるので,ティッシュは持参した方が無難カモ

 水ではなく,地域によっては,砂漠の砂を使うという話もある。確かに,砂漠の砂は粒が細かく,さらさらしていてそれほど痛くはなさそうだし,乾けばぽろぽろ落ちてくるから,慣れれば爽快かも!?

 郷に入っては…ということで,私も,左手を使ってホースの水で洗おうとしたけれど,慣れないので難しい。ま,密室でどっちの手を使おうが構わないし,そもそもイスラム教徒でもないんだからいいか。

 そういえば,左手がご不浄の手ってことは,トイレ以外で左手を使ってはいけないのだろうか?イスラム教徒と接するときに,握手や物を渡すのに左手を使わないように,という注意書きはガイドブックなどで見かける。でも,全て片手で事足りるわけじゃないし,両手を使わないと作れない料理とかあるんじゃない?パンをこねたり焼いたりするのに,左手は使わないんだろうか

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古代都市パルミラ

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  『繁栄の謎を解明

シリアにある今日のパルミラは、雄大な廃墟が蜃気楼のように立ち並ぶ遺跡だが、歴史的、考古学的証拠から見て、ローマ帝国の支配下にあった時代には巨大な交易都市だったと考えられている。
  町遺跡

 パルミラ遺跡の調査は100年近く前から行われてきた。だが、不毛なシリア砂漠の真ん中で20万人もの人口を抱えていたこの都市がどのようにして繁栄できたのかという重大な疑問には、いまも答えが出ていない

 かつてパルミラは、アジアの品物をローマに運んだ隊商路に欠かせない中継地のオアシスだった。商人たちがインド産や中国産の絹、銀、香辛料、染料をここで取り引きした。

 ノルウェー、ベルゲン大学の考古学者イェルゲン・クリスティアン・メイエル(Jergen Christian Meyer)氏は、これほどの都市がなぜ維持できたのかを突き止めるため、パルミラの北に接する約100平方キロの範囲で、2008年から4年の予定で調査を開始した。この地域を調査対象に選んだのは、ここが起伏に富む土地で、雨が降るとふだんは乾いている河床に貴重な雨水が集まり、農業の可能性がごくわずかに生じるからだ。
               町遺跡2

 地表の調査と衛星画像から、パルミラの市街から徒歩数日の圏内に20カ所以上の農村の輪郭が残っていることが確認された。これまでに実施されたほかの調査からも、パルミラの西に15前後の集落が確認されている

 決定的な発見として、季節的に訪れる突然の嵐で降った雨を集めて貯める人工の貯水池と水路網の跡が広い範囲で見つかったとメイエル氏は話す。

 この発見からすると、パルミラの周囲では集約的な農業が行われていたようだ。ローマ時代の文献から、栽培されていた可能性が高いのはオリーブ、イチジク、ピスタチオなど。これらの作物は現在のシリアでも一般的に栽培されている。メイエル氏の研究チームは、調査地域の泥の煉瓦を分析し、オオムギの花粉も見つけている。
        町遺跡3

◆自然の恵みか、人間の努力か

 メイエル氏は、パルミラで農業が拡大した原因を気候の変化に求めたくなるかもしれないが、自分としては、かつての農業が人間の創意工夫によるものだったと考えたいと話す。

「古代以降、マクロレベルでは気候に劇的な変化がなかったということで、学者の意見はある程度まとまっている」。

 メイエル氏の試算によると、古代のパルミラの住民は、年間120~150ミリの雨をどうにかして集めて水路に流していたという。

◆経済的な利点

 パルミラは、交易の中心地としては地の利がなかったはずだが、今回の発見で、この古代都市が繁栄していた理由も説明しやすくなる。
           町遺跡4

 アジアからインド洋、ペルシャ湾経由で入ってきたヨーロッパ向けの品物の一部は、ユーフラテス川を遡上し、途中でキャラバンに積み替えられて、シリアのパルミラを経由し、地中海沿岸の港に運ばれた。

 ほかの経路、たとえばユーフラテス川をさらに北上し、現在のトルコに向かう経路や、紅海からナイル川を利用する経路のほうが手間がかからず、早かったと思われるのに、なぜわざわざラクダを使って砂漠を横断したのだろうか

 メイエル氏は、その答えはすべてお金に、そして今回見つかった農場に関係していると指摘する。

 2000年前、この一帯は、西の強大なローマ帝国と東のペルシャ帝国に挟まれて混沌とした地域だった。ユーフラテス川沿いには小さな王国が並び、それぞれが舟運を利用する商人から通行税を徴収していた。

 これに対して、砂漠のキャラバンの中心地を利用すれば、何度も通行税を払う必要がなく、支払いを1回で済ませることができただろう。基本的にそれを可能にしたのが、パルミラ周囲の農地だったとメイエル氏は話す

 この地域の農民は、キャラバン用のラクダやヒツジをパルミラに連れて行く遊牧民と協力し、収穫後の土地で家畜に草を食べさせていたというのが同氏の仮説だ。
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 家畜が草を食べるおかげで土地が肥えるという余得もあっただろうとメイエル氏は付け加える。「遊牧民は家畜をつれてやってきてささやかな贈り物を残し、代わりに水を手に入れた」

シリア人の名前

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  『男性名の作り方・名乗らせ方

アラブ人の名前の作り方

アラブ人の名前がどのようにできているかを簡単にまとめてみました。 

シリア人 
基本編~普通のアラブ人の名前を作るには

シリア・レバノンやエジプトなど、社会が部族単位で動いていないような地域のアラブ人は、以下のような形で自分の名前を名乗ります。

 Muhammad Ali Ibrahim
 ムハンマド アリー イブラーヒーム

   ・ムハンマド=本人の名前
   ・アリー=父親の名前
   ・イブラーヒーム=祖父の名前

上の図を見ても判るように、部族意識が強い地域以外に住むアラブ人は通常「自分の名前」+「父親の名前」+「祖父の名前」を組み合わせたフルネームを名乗っています。このタイプの名前を作る場合は、人名リストに載っている名前を3つ組み合わせるだけで済みます。

例えば、漫画や物語でアラブ人のキャラクターを登場させると仮定してみます。そこに兄弟が登場する場合、彼等は連れ子でない限り父親を共有していますから、本人の名前を除いた部分は全部同じになります。たとえば、3人の兄弟がいた場合、フルネームは以下のようになります。

 Muhammad Ali Ibrahim
 ムハンマド アリー イブラーヒーム

 Ahmad Ali Ibrahim
 アフマド アリー イブラーヒーム

 Mahmud Ali Ibrahim
 マフムード アリー イブラーヒーム

この方式で先祖の名前をズラズラと書き連ねることは出来ますが、普通「フルネームを言ってください」と言われた場合は、上の方式で3つの名前を言うことになります。


【フルネームを使わない場合

通常フルネームは使われず、知人の間では本人のファーストネームだけを使います。ファーストネーム以外にも言う必要がある場合は、父親の名前を付け足します。

従って、上の兄弟の場合、自分の名前を名乗るときは、以下のようにします。

 Muhammad Ali
 ムハンマド アリー

 Ahmad Ali
 アフマド アリー

 Mahmud Ali
 マフムード アリー


【敬称について】

アラブ世界には、日本のように苗字を名乗る制度はありません。そのため、最後に来る名前を苗字のようにして「イブラーヒームさん」と呼ぶことはありません。人を呼ぶ場合は、本人の名前で呼びかけます。

職業や地位に基づいた敬称は使われますが、身近かつ対等な立場にある人同士が「さん」に相当する語をつけて呼び合うことはありません。MissやMrに相当する単語はあっても、「さん」に相当する単語はないので、上の人物の場合は「ムハンマド」と呼ばれることになります。
シリア人2
【同じ名前の人が何人もいたら

同じ名前の人がクラスといった同一集団に何人もいる場合は、父親の名前を使って区別します。たとえば、ムハンマドいう名前を持つ学生が3人いるクラスがあったとします。その場合、それぞれは以下のような形でクラスメートから呼ばれることになります。

 Muhammad Ali
 ムハンマド アリー
  →「ムハンマド アリー」もしくは「アリー」

 Muhammad Ahmad
 ムハンマド アフマド
  →「ムハンマド アフマド」もしくは「アフマド」

 Muhammad Ibrahim
 ムハンマド イブラーヒーム
  →「ムハンマド イブラーヒーム」もしくは「イブラーヒーム」
 

世界遺産~sekaiisan~

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『世界遺産sekaiisan

シリア中部ホムス県にある世界遺産の要塞「クラック・デ・シュバリエから黒煙が立ち上る映像が12日、動画共有サイト「ユーチューブ上に投稿された。
世界遺産1
 ホムスはシリアの内戦で政府軍と反体制派の激戦地となっており、反体制派が投稿したこの画像によれば、クラック・デ・シュバリエは政府軍の空爆を受けたとみられる。画像からは、少なくとも1回の空爆があり、要塞の塔の1つが破壊されたことが分かる。要塞の内部を映した別の動画も投稿されており、空爆で天井に大きな穴が開くなど大きな被害が出ている様子がうかがえる

 反体制派のシリア人権監視団によるとこの空爆は、反体制派がクラック・デ・シュバリエを拠点として、バッシャール・アサド大統領を支えるイスラム教アラウィ派の村クマイリを襲撃し住民を殺害したことへの報復とみられるという。

 クラック・デ・シュバリエはかつて十字軍によって建造された要塞で、国連教育科学文化機関の世界遺産に登録されているが、内戦により甚大な被害を受けたとして前月、「危機遺産」に指定されている。
                       世界遺産2
 「危機遺産

国連教育科学文化機関は、シリア国内にある6つの世界遺産について、2年以上続く内戦により甚大な被害を受けたとして「危機遺産」に指定した

 シリアには、ダマスカス、ボスラ、アレッポの3古代都市と、パルミラの遺跡、クラック・デ・シュバリエとカルエッサラー・エルディンの城、シリア北部の古代村落群の計6つの世界遺産がある

 しかしユネスコの世界遺産委員会は、カンボジア首都プノンペンで開いた会合で、6つ全てを「危機遺産リスト」に登録。文書で「シリアにおける武装紛争状態のため、6つの世界遺産の『顕著な普遍的価値』を確実に保全・保護する条件が失われた」と発表した。          2013年6月
  世界遺産3     世界遺産4

シリアの乗り物

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  『セルビスの乗り方講座

 セルビスとは、ミニバスみたいなもので、市内のちょっとした移動にとっても便利な乗り物
         セルビス
 ワゴン車で、白が多い。たくさんのセルビスが町中走り回っています。行き先などの表示がアラビア語だし、外国人にとっては使いにくいけど、乗り方を覚えてしまえばこれほどチープで便利な乗り物はありません。(日本にも導入してほしい程!)私も慣れるまでは苦労したので、これからシリアに行く人のためにセルビスの乗り方を伝授します。基本的に、セルビスは出発点と終点以外にはバス停がないようなもんです。その経路上であればどこからでも乗れ、どこででも降りれます

1.走っているセルビスを停める

 1人の場合、人指し指を立ててセルビスの運転手に見せるように手を出します。2人の場合は指を2本立てます。空席があれば止まってくれるし、なければ「ないよー。」という顔をされ、通過してしまいます。

2.料金を払う

 無事乗れたら、始めにお金を払います。セルビスは、前の方に乗った客が集金係になります。他の乗客にお金を渡せば前の方に回してくれます。セルビスの料金は、行き先に関わらず一律です。ダマスカス市内だと、だいたい3~5シリアポンド(10円くらい)になります。小銭は用意した方がいいですが、万一小銭がなくても100シリアポンドまでなら何とかなります。実際私が100シリアポンド札しかなくてそれを出したら、運転手が車から降りて他のセルビスの運転手に両替してもらってました。ダマスカスではよくある風景です。500シリアポンド札ともなると、乗車拒否されることもあるそうです。

3.目的地で降りる

 降りたい所に近付いたら、「アルヤミーン・ラウサマハト(右に寄って下さい)!」と運転手に言えば、車を停めてくれるので、自分でドアを開けて降ります。「イシャーラ(信号)!」と言えば、次の信号の前で停まってくれます。後は、信号待ちなどで停まっている時に勝手に降りてしまってもオッケーです。

 知らない所に行く時は、乗る前にあらかじめ運転手に行き先を告げておけば、着いた時に教えてくれます。
以上、セルビスの乗り方講座でした~

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