シリアの世界遺産
『シリアの世界遺産~文化遺産~』
• 古代都市ダマスカス - (1979年)
• 古代都市ボスラ - (1980年)
• パルミラ遺跡 - (1980年)
• 古代都市アレッポ - (1986年)
• クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン - (2006年)
• シリア北部の古代村落群(英語版) - (2011年)
ワンツーワークス #11『息をひそめて-シリア革命の真実-』
2013年11月11日(月)~17日(日) 赤坂RED/THEATER
作:ゾウ・ラファティ 翻訳:霜 康司 演出:古城 十忍
出演:萩原流行、奥村洋治、松田洋治
川辺邦弘、関谷美香子、形桐レイメイ
越智哲也、日暮一成、赤城海斗
『シリアの世界遺産~文化遺産~』
• 古代都市ダマスカス - (1979年)
• 古代都市ボスラ - (1980年)
• パルミラ遺跡 - (1980年)
• 古代都市アレッポ - (1986年)
• クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン - (2006年)
• シリア北部の古代村落群(英語版) - (2011年)
『シリアを知ろう』
このブログを始めたのは、11月に『息をひそめて-シリア革命の真実-』の公演をやるからである。
『息をひそめて-シリア革命の真実-』
作/ゾウ・ラファティー 訳/霜 康司 演出/古城 十忍
出演/萩原流行・松田洋治・奧村洋治・関谷美香子 他
11月11日~17日 赤坂レッドシアター
『息をひそめて-シリア革命の真実-』は、ドキュメンタリー・シアターである。
ドキュメンタリー・シアターとは、関わっている人に実際に話を聞き、それを基に戯曲をつくり、基本役者がお客さんに語りかけるという技法である。つまり、『息をひそめて-シリア革命の真実-』は、混乱まっただ中のシリアを密かに旅し、実際にシリア内部にいる人達とコンタクトをとり、取材をした話に完全に基づいた戯曲であり、シリア内を経験している人達の生きた言葉を使った作品である。
「この作品をなぜ日本で上演するのか?シリアという他の国の話に興味・関心があるのか?この作品を見て何が伝わるのか?」
上演するにあたって、上演する側の自己満足になってしまうのではないか、それは避けたい、そういう公演にはしたくない、今・同じ時代に同じ地球で生きている人達に興味・関心をもってもらいたい、シリアという国で今起こっていることを知ってもらいたい、生きた言葉を感じてもらいたい
実際に取材に答えてくれた人達の生きた言葉を、生きた思いを伝えるものとして、少しでもシリアを知る手助けになればいいなという思いと、『息をひそめて-シリア革命の真実ー』を観てたくさん感じて欲しいという思いで、日々更新していきます。
カテゴリ分けをして、いろんな視点から書き込んでいきますので、気の向いた時に少しでも読んでいただけたら嬉しいです。どうぞ、よろしくお願いします。
『シリア国民連合』
シリア国民連合は、内戦により亡命したシリア人を中心とした、アサド政権に対する反政府組織である。
トルコを拠点として活動を行ない、アサド政権打倒を目指す欧米諸国の支持を得た。その後、湾岸協力会議でシリアにおける正統な代表として承認され、アラブ連盟もシリア反体制派の正当な代表者として承認した。
フランスが主要国ではじめてシリア国民連合をシリアにおける唯一の正統な代表者として承認した。それに続き、イギリスも正式に承認した。
一ヶ月後には、アメリカもシリア国民連合を、シリア国民の正式な代表と認定し、その後、シリア反体制派を支援する有志国による会合「シリア・フレンズ会合」がモロッコのマラケシュで開催され、議長総括において、シリアの正統な代表組織と認定された。
国際的にシリアの代表として承認されている。
そのシリア国民連合の下部組織である軍事事務所に入っているのが、自由シリア軍である。
自由シリア軍はもともとアスアド大佐の一派が名乗っていた反政府軍の名称ですが、その後、自警団的に誕生した反乱軍の多くが自称したため、シリア国内では反乱軍の総称的に使われてきた。
その後、ヌスラ戦線などのジハード系組織の台頭に伴い、国際メディアではイスラム系と世俗系を分けて考えるようになり、世俗系をなんとなく自由軍と呼ぶ雰囲気になってきたが、反乱軍の膨張とともに世俗派の中にもアスアド系とは一線を画してあえてそう自称しないグループも多く現れ、組織乱立に拍車がかかり、「自由軍」の範囲がなんだかよくわからない状況になっている。
一方、イギリスの世界最高峰の軍事情報研究機関「国際戦略研究所」(IISS)が発表した記事によると、もともと22万だったアサド軍が、今では半減。アサドが信頼できるのは各特殊部隊、共和国防衛隊、第3師団、第4師団の主力だけで、実質的に5万人だとのことです。反乱軍は人数だけならもう10万人規模になっていますので、完全に逆転したといっていい。
ただし、兵器レベルと組織的な統制はアサド軍がはるかに上手でる。
『トーキング・トウ・テロリスト』
『トーキング・トウ・テロリスト』は、以前上演しました、ドキュメンタリーシアターです。
『この国では最も危険な行為は自由という言葉を口にすることだ』
『息をひそめて~シリア革命の真実~』は、ドキュメンタリー・シアターです。
シリアの内部で聞いたとおりの話に基づいた戯曲です。
何千もの人々が拷問され、投獄され、傷つき、殺されています。この作品は、シリア内で経験されてきた、自由を求める生死をかけた戦いを力強く描いています。
反乱について個人的な話を聞くために、ジャーナリストで受賞歴もあるポール・ウッド、ルース・シャーロック、演出家のゾフ・ラファティが、一緒になって密かにシリアを旅した。取材は、ジャーナリストの受け入れを禁止し、シリア人以外の移動を制限している法律を出し抜き敢行された。窒息しそうな圧政と恐怖の環境に身を置いて、彼らが話を聞いたのは、戦車や銃を目の前にする抗議者たち、自由シリア軍を作るために脱走してきた兵士たち、変化を夢見る活動家たち、さらにバシャー・アサド大統領を愛し、彼のいない未来を怖がる市民たちである。
聞いた話に基づいたシーン、インタビュー、談話を用いて、舞台『息をひそめて~シリア革命の真実~』は、人々が生き残ろうともがく、革命の混乱を描いている。
『見ている写真』
戦場カメラマン(せんじょうカメラマン)は、報道写真家のうち、特に戦闘や紛争の行われている地域にて戦争や戦闘員、戦争による被害、被害者などを取材するカメラマン。
多くの国の軍隊には記録係としての従軍記者の一員として従軍カメラマンが同行することが多いが、その他フリーランスやユニオンで出版社、新聞社の依頼で戦闘地帯をカメラ・ビデオカメラで撮影し、記録・報道する写真家を総称する。ベトナム戦争では多くの日本人カメラマンも活躍した。近年に至っては、ビデオカメラの高画質・小型軽量化ならびにインターネットを利用した画像送信技術や衛星電話の大幅な進歩により、テレビ局の仕事が急増した。彼らのほとんどはフリーランスであり、テレビ局に映像を、1秒いくらの契約で売ることが多い。
日本で初めての戦場カメラマン(従軍カメラマン)は、西南戦争を取材したことで有名な上野彦馬である。
著名な戦場カメラマン
• ロバート・キャパ
• マーガレット・バーク=ホワイト
• フィン・コン・ウト
• 沢田教一
• 酒井淑夫
• 石川文洋
• 一ノ瀬泰造
• 岡村昭彦
• 広河隆一
• 渡部陽一
・ 後藤健二
・ 佐藤和孝
「戦場カメラマン」というお仕事。危険が付きまとうイメージだけど、その報酬は一体どうなっているのか?
仕事の実態や報酬にまつわるいろいろな質問をしてみたい
まずは戦場カメラマンが報酬を受け取るまでの流れから。
雑誌に売り込んだ場合の報酬は?
時には危険な目に遭う戦場カメラマン、収入には見合っているのか。
戦場カメラマンの仕事を、ざっくりと時給計算してみると約1700円だそうです。現在、日本人で現役の戦場カメラマンは、20~30人程度と多くはないそうです。
『トラベル シリア』
シリアは、地中海東岸の緯度32~37度に位置し、国土の南部から中央部にはシリア砂漠が広がり、北部から東部にかけてユーフラテス川が、西部にはオロンテス川が流れ、流域は青々とした農業地帯となっている。地中海にほど近い山脈は森林や草原が広がっている。ここは、いわゆる「肥沃な三日月地帯」。世界で始めて農業が生まれ、アルファベットの原形を生み、宗教や建築技術など世界中に影響を与えてきた。国中いたるところに遺跡が残っている。また、世界でも指折りのホスピタリティをもつ国でもある。
日本との時差は7時間。シリアが正午のとき、日本が19:00。サマータイム期間(4月から10月頃まで)は時差6時間。
日本からシリアまでの直行便はない。バンコク、デリーなどのアジア、ドバイ、ドーハなどの中東、ヨーロッパ経由で16~18時間。
ハガキは日本まで18SP、封書は33SP。日本まで1週間から10日ほどで届く。小包は、普通航空便で1kg520SP。1kg追加ごとに900SP。EMSは1kg1360SPから。
緊急時】警察 112、交通警察 115、救急車 110、火事 113、番号案内 147(ダマスカス)、148(地方)
公用語はアラビア語。
会話例1 フィー アィンダック マイ ソフネ ?
ホットシャワーはありますか?
会話例2 ミーン ヤフハフ イングリージィー?
英語の分かる人はいますか?
会話例3 ビッディ ハーダ
これにします。
シリアの祭日:2012年
1月1日 元日
2月4日 ※預言者ムハンマドの生誕祭
3月8日 革命記念日
3月21日 母の日
4月8日 ※イースター
4月15日 ※ギリシア正教聖金曜日
4月17日 独立記念日
5月1日 メーデー
5月6日 殉職者の日
8月19日 ※ラマダン明け休暇
10月6日 10月解放戦争記念日
10月26日 ※犠牲祭
11月15日 ※イスラム暦新年
12月25日 クリスマス
※は移動祝祭日。毎年変わり、イスラム暦の祝日に関しては当日にならないと発表されないので注意。また、イスラム教の休日は金曜なので、週末といえば一般的に金、土を指す。キリスト教各派は独自の暦に従って休む日がある。
2011年8月10日に、シリア全土に「退避を勧告します。渡航は延期してください」という外務省の危険情報が発出されている。これは2011年3月からのデモ隊と治安当局の衝突に付随する治安の悪化によるもの。2013年4月現在でも治安回復の兆しは見られていない。また、この衝突の如何にかかわらず、イラク国境周辺についてはイラク国内の情勢が安定しないことから、依然危険な状態にある。
『アラブの春』
アラブの春とは、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せている。各国におけるデモは2013年に入っても継続されている。
ことのきっかけは、
2010年12月17日、チュニジア中部シディ・ブジドにて失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジが果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして警察が商品を没収。これに抗議するためにガソリンをかぶり火をつけ、焼身自殺を図った。チュニジアでは失業率が公表されている14%よりも高く、青年層に限れば25~30%という高い水準に達しており、同様に街頭で果物や野菜を売り生計を立てる失業者も多かった。
このトラブルがブアジジと同じく、大学卒業後も就職できない若者中心に、職の権利、発言の自由化、大統領周辺の腐敗の罰則などを求め、全国各地でストライキやデモを起こすきっかけになったとされている。
次第にデモが全年齢層に拡大し、デモ隊と政府当局による衝突で死亡者が出るなどの事態となった。やがて高い失業率に抗議するデモは、腐敗や人権侵害が指摘されるベン=アリー政権の23年間の長期体制そのものに対するデモとなり、急速に発展していった。その後、チュニジアの政権は崩壊した。
このチュニジアでの一連の出来事をジャスミン革命という。
このチュニジアの出来事は、瞬く間にアラブ諸国へ伝わった。
エジプトでは2011年1月25日より大規模な反政府抗議運動が発生、これにより30年以上に亘るホスニー・ムバーラク大統領下による長期政権が崩壊した(2011年エジプト革命)。
また、立憲君主国のバーレーンでも反政府運動が計画され、政府は給付金を全世帯に給付するなど対処したようにみえたが、首都マナーマの真珠広場で行われた中規模反政府集会を政府動員の治安部隊が強制排除し、死者が出る事態となっている(2011年バーレーン騒乱)。
カダフィ大佐による独裁体制が敷かれているリビアでも、カダフィの退陣を要求するデモが2011年2月17日に発生、2月20日には首都トリポリに拡大し放送局や公的機関事務所が襲撃・占拠され、軍はデモ参加者に無差別攻撃を開始し多数の犠牲者が出た。政府側はサハラ以南のアフリカから多額の時給で民兵を雇用し、反政府派も施政権が及ぼなくなったとされる東部や南部を武器をとり掌握するなど勢力を拡大、首都での戦いが避けられないという見方が報道によりなされた。これをうけ国連安保理は「民間人に対する暴力」としリビアに対し経済制裁と強い非難決議を採択した。その後、半年間に及ぶ事実上の内戦状態に突入したが、NATOによる軍事介入などの支援の成果もあり、8月24日には首都トリポリが陥落、42年間に及ぶカダフィ政権が崩壊した(2011年リビア内戦)。
さらに、シリアでもアサド政権側の政府軍と反体制組織等による事実上の内戦状態に突入しており、死者数が数万人に及ぶなど泥沼化している(シリア内戦)。
一方でこれらアラブ諸国の情勢に便乗して、イランはエジプトやバーレーン、イエメンの野党・反政府勢力に接触し、影響を与えることを画策しているとの見方もある。なお、アラブ諸国の中でデモなどの動きがほとんどない国としてカタール、アラブ首長国連邦が挙げられる。
また、これまで権力を独占してきた政権が崩壊した混乱により、軍が保有している武器が政府のコントロール下を離れテロリストに流出しており、テロリストの武装強化や凶悪化に繋がる事態にもなっている。
アラブ諸国以外への波及
現政権に対するデモなどの動きはアラブ以外の諸国にも広がり、中国共産党一党独裁下である中華人民共和国でも、チュニジアのジャスミン革命に追随しようとする運動の呼びかけがインターネットの掲示板等に書かれ、当局はネット規制とデモ場所によびかけられた北京王府井での警備体制を強化した。この他、ロシアやイスラエルなどでも大規模なデモが発生している。
「シリアの声 №1」
(山崎やよいさんのブログから引用
山崎やよいさんは、20年以上、シリア第2の都市アレッポをベースに活躍されている考古学者である。
シリアで20年以上暮らし、シリア人の旦那さんと結婚し、シリアで子育てをし、シリア人社会の中で生きてきたである。だからこそ、マスメディアで生きるジャーナリストとしての視点でもなく、シリアに生まれたシリア人とはまた違った形での「当事者」である、山崎やよいさんの視点から見るシリア情勢はとても興味深いものがある。
2013年4月3日記事)
『
シリアの友人たちは、皆、限界に来ている。精神的にも、物質的にも。
昨日の朝、FBを開けると、教え子のAからメッセージが来ていた。彼は家族のいるイドリブのアリーハに戻れず、数ヶ月をアレッポにある親戚の家で居候として過ごしていたが、メッセージから察するに、ようやく自宅にもどったようである。
お元気ですかと、型通りの挨拶のあと、イドリブの大学で、ギリシア・ローマの考古学を教えることになったと書いてきた。紀元前3千年紀の古代エブラ文書で修論を書いた彼にしてみれば全くの専門外である。
「他の先生たちはみんな国外に逃げてしまったために、こんな教科を教えることになってしまいました」
Aは、自分の専門領域の専門家のいるイタリアへの留学を希望していたが、奨学金がとれず、今は宙ぶらりんの状態になっている。
彼は、それでも一縷の希望を持ってパスポートを更新した。しかし、有効期限は1年しか与えられなかったらしい。
「来年の4月いっぱいでパスポートの期限は切れます。僕はまだ兵役に行っていないので。」
つまり、なにも手だてがないと一年後には、政府軍に入らねばならないのだ。
彼は続ける。「先生、イタリアの留学に関してはすごく手数をかけてしまいました。本当に、本当に申し訳ありませんでした。でも先生だけが頼りだったんです」
ここまで書いたとき、彼は感情を押さえ切れなくなったようである。
「だけど、今シリアでの生活はもう不可能になり始めました。何でもいい、なにか手だてはないのでしょうか?皿洗いでも、掃除夫でも、どんなことでもして働きます。もう父の年金では、文字通り食べることもままならなくなっています。物価は去年の3倍以上になっている。近頃は、お腹がすいたままで寝ることがよくあります。先生、ごめんなさい。こんなことを書いて。でも、誰かにこの苦しみをシェアしてほしいんです。」
「外国で勉強したい。奨学金がだめならば、働きながら勉強する。世界中のどの国でもいいから、シリアから遠い所に行きたい。」
この言葉をどう捉えればいいのか?彼は意気地なしなのか?彼の言っていることは「弱音」なのか?
この状況下、ある者は自由シリア軍に入り、ある者は国外へ避難し、あるいはそれを余儀なくされ、難民となり・・。全てが、あまりに悲惨である。
そして、さらにそこには、シリアの変わり果てた国内で、彼のように、蜘蛛の巣に絡まった獲物のように、身動きのとれなった若者たちが存在する。
』
シリア・アラブ共和国、通称シリア。
「シリアの地理」
東地中海に面する一部を除いて、国土は隣国と地続きであり、北部ではトルコと、東部ではイラクと、南部ではヨルダンと、西部ではイスラエルやレバノンとそれぞれ国境を接している。
国土の内、西部の地中海湾岸部には平野が広がっていて、南部は肥沃な土地が広がっていて、国内の農業のほとんどをを負担している。北部は半乾燥地帯、中部はアンチレバノン山脈が連なり、山岳地帯が大半であるが、乾燥地帯の延長上には、アラビア半島に続くシリア砂漠がある。
国内最高峰は、ハーモン山(2,814m)。
国土面積は、約18,5万平方キロメートル。日本の約半分にあたる。水面積率は0,6%で、国土を北から南にユーフラテス川が、南から北にオロンテス川が流れている。
『人口は、2,082万人(2011年)。』
シリア内戦は、2011年のチュニジアのジャスミン革命の影響によってアラブ世界各地で起きた騒乱(アラブの春)の一つであるが、騒乱開始以来、2012年までに4万6千人が死亡し、このうち3万9千人が2012年に死亡したとされているが、国際連合により、2012年5月下旬の時点でもはや死者数の推計は不可能と判断されている。
2013年2月14日、国際人権高等弁務官事務所は、シリアでの死者数が7万人に迫っていると発表している。