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  『シリアの娯楽

「 
シリアにはこれといって娯楽はありません。
首都ダマスカスで生活していますが、
日本に比べると娯楽がすごく限られるのを感じます。

日本で娯楽スポットとして考えられるものだと、映画館が数件あるってくらい。
お台場とかみたいなアミューズメントパークなんてもちろんないし、
ゲームセンターもお洒落なショッピングモールも、シリアには存在しません。
「シリア・ウォーカー」とか「ぴあ・シリア編」みたいなのがあったら、おそらく記事は数ページでしょう。


「この国の人たちは、暇なとき一体何して過ごすんだろう?」

気付いたことがあります

彼らは何もしてないです。
そもそも、暇なとき「何かをする」ってこと自体、この国ではあまり考えられてないようです。
「やることがないときは何もせず、家族や友達と家や公園でゆっくりする。」
これがこの国のやり方みたいです

だから、休みの日に街に出たりすると、すんごいガランとしていて驚きます。
(日本とは全く逆ですね。もちろん宗教的なバックグランドもあるわけですが・・・)
そのかわり公園にいったり民家の前を通ったりすると、人で溢れています。


そのせいか、この国では日本よりも見えやすいところに
家族の団欒とか友情というものが存在している気がします。
公園で家族一緒にお弁当を広げている人たちは本当に幸せそうだし、
道端でお茶を飲んでいるおっちゃん達も妙に楽しそうです。

日本と比べて、その辺の考え方や行動の違いが僕にはすごく新鮮でした。

家族の団欒の光景は、ほんといいものです。
写真はずいぶん前に撮ったハマという街の親子の写真です。シリアの娯楽

                             

           Alone in Syria... ~青年海外協力隊の活動記~  2006

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世界へ  Syria`s fashion

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  『イスラームの服装


 イスラム女性の服装の種類


 テロが横行する最近は、全身を覆い隠して顔や所持品を分からなくするイスラム女性の服装は、各国の安全対策の担当者にとって頭の痛い問題になっている。戦場では男性兵士がイスラム女性の服装をして、武器を隠し持ったまま敵を欺く事も発生しているとされ、イスラム社会の反感を買ってでも、厳しくボディー・チェックを行わざるをえないようだ。
 しかし、全ての伝統風のイスラム女性が顔を隠しているわけでは無い。イスラムは一体感の無い文化なので、女性の服装も国や地域やイスラム法学者によってまちまちに規定されている。実際にどのような服装が存在するのか、大雑把にまとめてみた。


1. ヒジャブ(hijab)   ヒジャブ(

スカーフのような布で頭髪を隠すもので、顔は露出させている。アラブ諸国で一般的。フランスでは宗教的シンボルであると学校等の公共の場での着用が禁止されており、内外のムスリムから反発を受けている。

2. ツドン(tudung)   ツドン

マレーシアとインドネシアのtudungは、hijabとほぼ同じものに見える。カラフルなものが多い気がする。

3. アル・アミラ(al-amira)   アル・アミラ

ツーピースのヴェールで、体にフィットした帽子とチューブ状のスカーフで構成されており、顔は露出させている。

4. シェイラ(shayla)   シェイラ(shayla)

長方形の布で、頭を覆い、肩で折りたたむかピンで留めて使う。顔は露出させている。湾岸地域で用いられている。

5. ヒマール(khimar)   ヒマール(khimar)nomae

頭から腰の上まで覆うヴェールであり、顔は露出させている。

6. チャドル(chador)   チャドル(chador)

全身すっぽりと布と覆い尽くすが、現在では顔は露出させているものである。イランで用いられている。

7. ニカーブ(niqab)   ニカーブ(niqab)
      
全身すっぽりと布と覆い尽くし、目だけを外部に露出する服装である。ペルシャ湾岸のアラブ諸国で一般的で、最近はエジプトでも見かけるらしい。

中央アジアで用いられているニカーブは、パランジ(Paranji)と呼ばれており、馬の毛で作られていて、かなり重量があるらしい。

8. ブルカ(burka)   ブルカ(burka

 ニカーブの一種で、目の部分も網状になっていて完全に隠れている。アフガニスタンで用いられている。



シリア・フレンズ会合

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  『第4回シリア・フレンズ会合 平成24年12月13日 

 12月12日(水曜日),マラケシュ(モロッコ)において,第4回シリア・フレンズ会合が開催されたところ,概要と評価は以下のとおり(我が国からは,浜田和幸外務大臣政務官が出席)。
                     フレンズ会

1 会合の概要

1. (1) 日時:12月12日(水曜日) 10時00分~13時30分
2. (2) 場所:マラケシュ(パルムレ・パラスホテル)
3. (3) 議長:オトマニ・モロッコ外相

4. (4) 参加者:130を越える国,シリア反体制派,国際機関,地域機関,NGOからの代表が参加。(主な参加者:ヘーグ英外相,ファビウス仏外相,ヴェスターヴェレ独外相,ベアード加外相,ダーヴトォール・トルコ外相,ハマド・ビン・ジャーシム・カタール首相兼外相,サウード・アル・ファイサル・サウジアラビア外相,エルアラビー・アラブ連盟事務総長,ハティーブ「シリア国民連合」(NC)議長など)

5. (5) 本会合の直前に,我が国を含むコアグループ国(G7,アラブ諸国,トルコなど)の代表による朝食会が行われた。


2 議論の概要

 モハメッド6世モロッコ国王のメッセージ(オトマニ外相が代読)により開幕。続いて,ハティーブ「シリア国民連合」議長及びアターシー副議長により,シリアの窮状を救うために国際社会による支援を強く訴えるステートメントが行われた。また,ほぼ全ての閣僚級の参加者によるステートメントが行われた。議長総括における主要ポイントは以下のとおり。
 次回フレンズ会合はイタリアにおいて開催される予定(時期未定)。

• 4万人以上の死者,人道・難民危機につき,シリア政権へ暴力を即時停止するよう要請するとともに,全ての側に対して国際人道法を遵守するよう呼びかけ。

• 地域・近隣諸国へのシリア危機の拡散防止策として,NATOがトルコ国境沿いに迎撃ミサイルを設置することを含めた取り組みを支持。

• 「シリア国民連合」の設立を歓迎し,「シリアの人々の正当な代表(the legitimate representative of the Syrian people)」であり,シリア反体制諸派の上部組織と認めた(acknowledged)。
                                        シリア国民連合

生物化学兵器のいかなる使用も,国際社会としての深刻な対応を余儀なくされ得ると警鐘。

• 11月30日のアジアで初の開催となる東京での第5回制裁WG会合の結果を歓迎。

• 約250万人の国内避難民及び50万人以上の国外におけるシリア難民に対する国際社会の支援を呼びかけ。「シリア国民連合」内の支援調整ユニット(ACU)と協力し,シリア国内の支援ニーズに迅速に対応していくことに合意。また,同ユニットの活動資金を増強していく姿勢を示した。

• シリアの復興期に関し,信託基金の設立を含めた準備を行うことの重要性を確認。


3 我が国の対応
                 フレンズ会2

 浜田外務大臣政務官より以下のステートメントを行った。

1. (1) 我が国としては,フレンズ会合の一員として,本会合の直前となる11月30日に東京で第5回シリア制裁WG会合を主催,アジア初の開催として初参加を含めた複数のアジア諸国からの参加を得て,これまでで最高となる67の国・国際機関が参加し,シリア体制側へ強いメッセージを発するとともに,シリアの人々に対する連帯の意を示した旨を紹介した。

2. (2) また,シリア政府による化学兵器の使用の可能性に関して深い懸念を示し,シリア政府に対してはいかなる場合においても化学兵器を含む非通常(ノン・コンベンショナル)兵器を使用せず,可及的速やかに関連国際約束の締結を求める旨表明した。


4 評価

1. (1) 4回目となる本件シリア・フレンズ会合には,これまでで最大となる130の国,国際機関,NGOなどの代表が参加。

2. (2) 冬に突入し,シリアにおける人道危機が喫緊の国際的課題となっている中,これほどの多くの国際社会の参加者が,弾圧下に苦しむシリア人に対する連帯の意を一致して示したことは,大変意義の高いものと評価。

3. (3) また,11月にドーハで「シリア国民連合」が結成されて以来初となる本件会合において,同連合をシリア人の正当な代表として認め,同連合とともに民主的かつ多元的な新しいシリア政府に向け,協力していくことで一致したことなどは,大きな前進。

4. (4) 更に,我が国が11月末に東京で制裁WG会合を主催したことについては,そうした努力を歓迎する旨が議長総括に含まれるなど,シリア情勢の平和的解決に向けた我が国の努力に対する評価が示された。

2013・6・27 

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  『シリアの死者数


 シリア内戦による死者が、10万人を超えた。

 反体制派組織の「シリア人権監視団」によると、2011年に反体制派と政権側の衝突が始まってから24日までの死者数は、確認できているだけで10万191人に達した。うち子供や女性を含む市民の死者は、3万6000人以上に上るという。
                     子供2

アサド大統領 TV局インタビュー

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  『"勝利を確信"

 2013年5月30日 
 
シリアのアサド大統領は、レバノンのテレビ局のインタビューを受けた。

ロシアとの武器供与が話題に登る中、インタビューの最後に"我らは勝利を確信している"と発言した。

   インタビュー映像(字幕付き)

旅行者の声

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  『シリアのお土産事情


アレッポ石鹸
            アッポレ石鹸

 まずシリア名物三指に入るのでは。アレッポ名物のオリーブ石鹸
アレッポの石鹸スークで購入しましたが、まわりがベージュで中を切るとオリーブグリーンが鮮やかな石鹸が、ばばーんと山積みになっていました。ランクにより値段もかなり違います。店の一番いい石鹸を!と言ってキロ買いしましたが、値段はあまり下がりませんでしたねー。
他にもスークで買い物したり値段を聞いたりしましたが、なんだかあまり値切れませんでした。 石鹸は質が良く、日本でも高価に販売しているので買って帰るといいでしょう。
                                     オリーブ石鹸


刺繍もの・布製品
             お土産2

 パレスチナ刺繍・アルメニアン刺繍など、民族衣装のように凝ってきれいな刺繍ものが結構あります。ショールやスカーフなどがよくあります。アレッポで見たアルメニアン刺繍のショールは色もデザインもものすごく素敵でしたが、値段もすごかった。      
                    お土産1

シリアの女性は一般的にショール(スカーフ?)をかぶっているので、布物は種類もデザインも豊富です。刺繍以外でもかなりあるので、女性向けお土産にはいいと思います。パシュミナやシルクなど、日本にないデザインや色合いのものもたくさんありました。
ダマスカスのハンド・クラフト・センター、数十件のお土産屋が軒を連ねている割には静かで見やすいところでしたが、ここにも総シルクの織物を売っていました。色の数で値段が違ってくるとのこと、高価ですがゴージャス。
             お土産3


おかし・甘いもの
                    お土産4

 アラブ式お菓子のお店が町中にはたくさんあります。ガラスのショーウインドウ越しに、山のように積み上げられたお菓子の数々が見えるので、すぐにそれとわかると思います。クッキー類は意外とおいしいです。
さくっとしていてホントに手作りクッキーといったかんじ。中でも全体にゴマをまぶしたクッキーは甘さも控えめで、たぶん日本人にもうけると思います。
ただ、お土産のお菓子はなんせ大きい入れ物がほとんどで、クッキーといえど半端じゃない重さになるので、私は購入しませんでした。会社などのお土産にはいいと思います。

戦闘と隣り合わせの市民生活

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  『シリア 漆黒の闇広がる


 アサド政権と反体制派の武力衝突が2年を超えたシリアの首都ダマスカスを20日まで2日間回った。内戦は9万3000人の命を奪い、160万人の難民を生んでなお続く。4000年近い歴史を持つ世界屈指の古都では市民らが戦闘と隣り合わせで暮らしていた。
                          子供1

 19日夜、政権側軍事拠点があるダマスカス北部のカシオン山の中腹。眼下にオレンジや青の光がきらめく。だが、中心部から約10キロのあたりから、同心円状に漆黒の闇が広がる。反体制派の支配地域だ。市民らは「政権側が停電させている」とうわさする。「ドーン」。腹に響く砲撃の音が1時間に8回聞こえた。
                   
 翌20日、首都東郊のダマスカス大学付属ベイルーニ病院を訪ねた。国内唯一のがん専門病院で中心部から約8キロ。手前約2キロで急に車の数が減り、風景も一変する。商店は窓が割れ、調度品も散乱。壁や天井が崩壊した集合住宅が建ち並び、焼け焦げた車が数台横たわる。政府軍の検問所以外は人影がなく、時折、廃虚ビルの方向から銃声が聞こえた

 「この2週間で戦闘が激化した。私の車も10日前に撃たれた」。ベイルーニ病院のニザール・アッバス院長(56)は表情を曇らせた。通院できない人が増え、患者は内戦前の半数だ。病状が悪化し、自宅で亡くなる人も多いという。欧米との関係悪化の影響で、最新の薬やCTスキャンなどの輸入が停止。アッバス院長は「市民の命が犠牲になっているんだ」と語気を強めた。

 ダマスカスに記者が入ったのは19日昼だ。西隣のレバノンから続く高速道路にある政権側の検問所では、身分証や荷物を入念にチェック。対向車線に戦車を積んだ大型トレーラーも走る。1時間に数回、政権側によるとみられる砲撃音が聞こえる

 だが、人々は平静だ。「検問も砲撃音も日常なんだ」。ダマスカスの旧市街で工芸品店に勤めるマーヘルさん(25)が声を落とす。この2年で客は半分以下に減った。

 「外出しない人が多い。何があるか分からないから」。10年前から新市街でオープンカフェを経営するムハンマド・ワシームさん(35)は語る。4月と6月の爆弾テロで数十人が死傷。当局は大通りの中央に高さ約1・5メートルの分離壁を設置して人や車の往来を制限し、主要交差点で手荷物検査を行う。燃料価格は以前の倍になり、輸送費高騰で食品なども値上がりした。
                                シリア市街

 世界遺産の旧市街にあるウマイヤド・モスク(イスラム礼拝所)を訪ねた。市民の数少ない憩いの場だ。広大な中庭で、子供たちが裸足で駆け回り、カップルが肩を寄せ合う。砲撃音が響いたが、子供たちは遊び続けた。「ここは安全だし、楽しいよ」。妹弟と遊んでいたシャイフちゃん(8)が笑った

anather voice

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  『富山便りより 第二弾


  シリアの野菜
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 シリアのイメージは砂漠というのが大半だろう。

 水がなくて作物も枯れているような気さえする。

 しかし、シリアはオアシス地帯で、レバノン山脈から流れ出した雪解け水が大地を潤し、
名前くらいは聞いたことがあるだろうユーフラテス川の恵みもあった。

 ごぼうや大根といった根菜はなかったが、たいていの野菜は調達できた。

 しかも日本に売っている野菜とは比べ物にならないほどおいしい。

 日照時間が長く、朝夕の気温差が激しいシリアでとれる野菜は、まさに完熟という
言葉がぴったりで、甘く濃厚な味がした。
 
 そして野菜は地栽培がほとんどなので、私はシリアで旬の野菜がなんなのかということも知った。
 
 果物もそうである。

 私は七月に赴任したので、そのころメロンがおいしい季節だった。
ラグビーのボールのように少し楕円形で、中身はオレンジ色をしていた。

 これが、めちゃくちゃおいしいのである。

 たとえて言うならば、夕張メロンを濃厚にしたような感じだ。 メロン


 メロンというのは高級な感じがするし、実際おいしいメロンを日本で食べようと思うと簡単にはいかない。
「さっ、メロン食べたいな、買~おう」とお気軽に買える値段では売っていないからだ。

 しかし、シリアでは、1個日本円で50円くらいで買えた。

 完熟なので、皮からもメロンの芳醇な香りがしたし、一口食べると、甘さが口の中いっぱいに広がって
疲れも一気に吹っ飛ぶくらいである。

「タイベー、タイベー、タイベー、クティール!」

 おいしいという意味のアラビア語を三連呼し、なおかつ非常にという言葉までつけてしまうほどだった。

 もう、私はメロンに心を奪われ、朝昼晩とご飯のかわりにメロンを食べたくらいである。

 帰国してから8年経つが今でもそのメロンの味が忘れられず、夏が来ると特に、「あぁ、シリアのメロンが食べたい」と恋しがっているくらいなのである。

2013・6/22

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  『ニュース 2013・6/22 
        スーパームーン


 化学兵器、使用者特定できず=シリア内戦で国連委

 シリア内戦の人権侵害を調べている国連調査委員会のピンヘイロ委員長は21日、シリアでの化学兵器使用について「誰が化学物質、化学兵器を使ったのか明言できない」と述べ、使用者特定は今のところ困難との認識を示した。ニューヨークの国連本部で記者団に語った。
                              化学兵器1

 米政府は先に、シリアのアサド政権が反体制派に対して化学兵器を使ったと認定し、反体制派への武器支援を決めた。(2013・6/14 下の記事) 


 2013・6/14 米政府、シリアは「一線を越えた」 化学兵器使用と断定 
 
 米政府、シリアは「一線越えた」と発表

 ワシントン(CNN) 米ホワイトハウスは13日、シリアのアサド政権が反体制派に対して化学兵器を使用し、越えてはならない一線を越えたと断定した。この判断に基づき、反体制派支援の「規模と範囲」を拡大すると表明している。
 
 シリアでの化学兵器使用の情報は以前から伝えられていた。しかしシリア政府軍が化学兵器を使用したとオバマ政権が断言したのは今回が初めて。   
                                 化学兵器2

 ホワイトハウスが発表したローズ米大統領副補佐官(国家安全保障問題担当)の声明では、「情報機関の推定では、シリアで化学兵器攻撃によって100~150人が死亡した。ただし(正確な)犠牲者の数は未確定」と報告した

 その上で、「化学兵器の使用は国際基準違反であり、国際社会に存在してきたレッドライン(越えてはならない一線)を越えている」と言明。軍事的支援も含め、シリアの反体制派に提供してきた支援の範囲と規模を拡大すると表明した

 ローズ氏は記者団に対し、反体制派への軍事支援は大統領が決断したと説明。ただし米政府が反体制派に武器を供与するとまでは明言しなかった

 反体制派が求めているシリア上空の飛行禁止区域設定については、オバマ大統領はまだ判断を示していない
            スーパームーン2


国際連合兵力引き離し監視軍

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  『UNDOF 国連兵力引き離し監視隊


 国際連合兵力引き離し監視軍とは、国際連合平和維持活動の一つであり、中東・ゴラン高原における停戦監視を任務とした平和維持軍である。1974年5月31日の安全保障理事会決議350に基づいている。活動期限は毎年延長されている

 ゴラン高原は、1973年10月に発生した第四次中東戦争においてイスラエルとシリアの戦闘地帯となった。

 停戦が行われたものの、軍事的に不安定な状態となっていた。

 1974年5月に安全保障理事会は決議350を出し、ゴラン高原に両国間の兵力引き離し地帯を設置することと停戦監視部隊を派遣することを決議した。

 これにより、1974年6月よりUNDOFが活動を開始することとなった。  国際連合兵力引き離し監視軍2


 UNDOFの活動開始以降、重大な事案は担当範囲内において発生していない。

 2010年6月時点では、フィリピンのエカルマ少将が務めるUNDOF司令官の下、司令部・2個歩兵大隊・1個後方支援大隊の約1,000名で構成されている。

 派遣国はオーストリア、カナダ、クロアチア、インド、日本、フィリピン。

 しかし、シリア内乱の激化によって情勢が悪化したため、2012年に日本が、2013年にはオーストリアが撤収を決定している

  国際連合兵力引き離し監視軍3

 日本政府の対応

 自衛隊は1996年よりUNDOFへの部隊派遣を行ってきたが、現地の治安悪化を理由に2012年12月に撤収命令が発令され、2013年1月をもって活動を終了した

2009年
• 1月30日 閣議決定により自衛隊派遣期間を6か月延長及び司令部要員1名を追加派遣。
      (現行:自衛官45名(司令部要員2名)→変更後:自衛官46名(うち司令部要員3名))
• 7月24日 閣議決定により自衛隊派遣期間を2010年(平成22年)3月31日まで延長

2010年
• 1月29日 閣議決定により自衛隊の派遣期間を2010年(平成22年)9月30日まで6ヶ月延長
• 8月6日 閣議決定により自衛隊の派遣期間を2011年(平成23年)3月31日まで6ヶ月延長

2011年
• 7月29日 閣議決定により自衛隊派遣期間を2012年(平成24年)3月31日まで6か月延長。

2012年
• 1月20日 閣議決定により自衛隊派遣期間を2012年(平成24年)9月30日まで6か月延長。
• 8月7日 閣議決定により自衛隊派遣期間を2013年(平成25年)3月31日まで6か月延長。
• 12月8日 シリア内戦の激化を受け、政府が撤収する方針を固めたと報じられる。
• 12月21日 森本敏防衛大臣が業務の終結と速やかな撤収を命令。

国連支援

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  『シリア内戦、国連が過去最高52億ドルの支援訴え

       国連1

 国連(UN)は7日、シリア内戦による難民などを救済するため、過去最高額となる52億ドル(約5070億円)の支援を訴えた

 国連は、シリア国外に逃れた難民の救済に38億ドル(約3700億円)、国内での支援活動に14億ドル(約1365億円)が必要と発表した。
                                               内戦1

 アントニオ・グテレス国連難民高等弁務官は記者団に、「戦闘が止まなければ、国際社会が対応する用意ができていない事態が、中東で勃発する危険性がある」と語った
                内戦3

 バッシャール・アサド大統領に対する抗議運動の弾圧がきっかけで内戦が始まった2011年3月以降、シリアでは9万4000人が死亡し、160万人の難民が生まれている。今年末までに、難民の数は少なくとも345万人に達すると国連は予測している。国内では今年中に計680万人に対する支援が必要となる見込みで、その大半は戦闘のために家を追われた人々だ
                                   内戦2

2013・6/17

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  『アサド政権との関係断絶


 エジプト民間テレビCBCによると、同国(エジプト)のモルシ大統領は6月15日、カイロ市内で開かれた政治集会で演説し、アサド政権下のシリアとの関係について「関係を断つと決めた」と述べた。

 ダマスカスにいる臨時代理大使を呼び戻すと同時に、シリア側の駐カイロ大使を退去させる方針という。

 イスラム教シーア派の一派アラウィ派を中核にしたアサド政権は、国内で多数派のスンニ派勢力が加わる反体制派の弾圧を続けている。モルシ大統領はスンニ派のイスラム組織「ムスリム同胞団」出身で、アサド政権の対応を批判し続けてきた。

trace the history

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  『シリアとエジプト


 エジプトもシリアもかつてはオスマントルコの属領だったが、トルコの支配を脱した後は、エジプトはイギリスの保護国を経て1922年に独立、一方シリアはフランスの委任統治領を経て1946年に独立と、まったく別々の道を歩んでいた。

 その両国が58年に合邦してアラブ連合共和国を成立させた背景は、「アラブは1つ」という汎アラブ主義の高揚だった。

 1952年のクーデターで王制を倒し、54年にエジプトの大統領となったナセルは、ナイル川にダムを作って砂漠を農地に変える計画を実現するために、それまで英仏資本の会社に支配されていたスエズ運河の国有化を実施。
 
 怒ったイギリスとフランスは、イスラエルも誘ってエジプトへ侵攻するが、国際世論のバッシングに遭って撤退(スエズ動乱=第二次中東戦争)。

 ナセルは西欧列強の横暴に立ち向かった第三世界のヒーローとして名を挙げ、アラブ世界を統一して帝国主義を駆逐しようという汎アラブ民族主義と、富の公平な分配によって近代開発を進めようという社会主義とを結合させたナセル主義は、アラブ各国の民衆を熱狂させた。

 そんなナセルに急接近したのが、47年にアラブ民族の統一と自由、社会主義の実現を掲げて、シリアで結成されたバース党(アラブ復興社会主義党)だ。

 シリアでは独立後、クーデターが繰り返されて政情不安定が続いていたが、ナセルの人気が高まると共通した思想を持つバース党も勢力を急激に伸ばし、シリアのみならずイラクやヨルダン、レバノン、イエメンなどにも支部が生まれた。

 バース党は各国で政権を獲得し、1つの国家に統合させることによってアラブ統一を実現しようとしていた。
             
                エジプト


 つまりアラブ連合共和国の成立は、国際的な組織を持つバース党が、国際的な大看板のナセルを担いで、アラブ統一の先鞭を付けようとしたものだった。ナセルは当初渋っていたが、バース党に説得されてノリ気になった。

 地主や資本家などを背景としたシリアの保守層も、アメリカとの同盟をバックに政局が混迷するシリアへ支配を及ぼそうとしていたトルコやイラクの脅威や、共産勢力の台頭を抑え、かつバース党の急進化をナセルが抑えてくれることに期待して、エジプトとの合併に賛成した。

 こうして58年2月には国民投票が行われ、エジプトでは99・9%、シリアでは99・8%の圧倒的な賛成で、両国の合併が決まった。

 アラブ連合共和国の首都はカイロに置かれ、大統領にはナセルが就任。国会にあたる国民会議のメンバーは大統領が任命し、それまでの政党に代わって大政翼賛会のような国民連合が結成されるなど、「アラブ統一」という大義実現のためにナセルの独裁色が強い政治体制になった。
                                       アラブ連合国 国旗
 エジプトはエジプト州、シリアはシリア州となり、それぞれに行政会議が置かれ、副大統領にはエジプトから2人、シリアから2人の計4人が任命されたが、シリア人の閣僚には実際には何の権限もなく、重要事項はナセルとエジプト人の腹心だけで決められたので、シリア人はバース党も含めて国政の重要事項にはタッチできない状態になった。

 それでもバース党は国民連合の主導権を握ってナセルを操ればいいと考えていたが、シリアで行われた国民連合の委員選挙では、ナセルに迎合してエジプト支配の下でも利益を得ようとする機会主義者たちが多数を占め、ナセルと渡り合おうとするバース党は大敗。

 59年末から60年初めにかけてバース党の閣僚たちは次々と辞任に追い込まれていった。

 同時にナセルはエジプト人のアメル副大統領にシリア州統治の全権を委任したり、「軍の一体化」を名目にエジプト人将校をシリアの軍高官に任命したため、シリアはあたかもエジプトの植民地のようになってしまった。

 そしてバース党の勢力を削いだナセルはシリアの「エジプト式経済改革」に乗り出し、金融機関や主要企業、商社の国有化や農地改革などの社会主義政策を実施したため、シリアの経済界はパニックになった。シリアの通貨をエジプト通貨と統合する方針が発表されると、シリア経済はエジプト経済に呑み込まれてしまうと危機感が高まった。

 こうしてバース党や保守層を問わず、シリア側の不満が高まるなかで、61年8月にナセルは両州の行政会議を廃止し、直接統治を行うことを決定。シリアは名目的な自治さえ奪われることになると、9月28日にシリア軍がクーデターを起こして1日でシリア全土を掌握し、アメル副大統領をエジプトへ追放するとともに、翌日シリアの独立を宣言した。

 これに対してナセル大統領は空挺部隊を派遣して独立を阻止しようとしたがすぐに断念し、10月5日にはシリア独立を認めた。

 エジプトとシリアは同じアラブ人の国だといっても、歴史を遡ればエジプト文明の国とメソポタミア文明の国で、一時の政治的熱狂で合併しちゃっても、もとからうまく行くはずはなかった。

 エジプトは国土の大半を砂漠が占めるが、シリアは穀物輸出をしている農業国で、ユダヤ商人に対抗するアラブ商人の本場として商業も盛んと、経済状況はまるで違う。面積や人口はエジプトがシリアの5倍だったが、1人あたりの所得はシリアの方が3割以上多かった。

 シリア人は「政治の実権はエジプトに握られても、経済の実権はシリアが握ればいい」と考えていたが、経済政策を決めるのは政治家なわけで、政治指導層からシリア人が排除されたら、エジプト優先の経済政策になるのは当然のこと。

 エジプトとシリアの経済一体化は、豊かなシリアにとってはエジプトに富を奪われることを意味した。

 こうして分離後のシリアでは保守層が再び政権に就いたが、バース党はエジプトとの合併に懲りたかといえばそうではなく、「失敗の原因はナセルの独裁体制であって、アラブ統一はいずれにしても必要」と考えた。

 エジプトから戻ったバース党員のシリア軍将校らが保守政権によって更迭されると、再びアラブ統一を唱えた軍のクーデターが繰り返され、63年のクーデターでバース党が政権を握ると、エジプトとシリア、そして同じくバース党が政権を握ったイラクも加えてアラブ連合共和国連邦の結成を宣言する。

 しかし前回の合併を教訓にしたバース党がナセルに主導権を奪われまいとしたため、今度はナセルの側が合併を撤回したのでした。

2013・6/14

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  死者


 シリア人権監視団(英国)は6月12日、内戦中のシリアでの死者が8万人を超えたと明らかにした。反政府デモが本格化した2011年3月以降の死者数としている。
 
 そのうち一般市民は3万4473人で、4788人の子どもと3048人の女性が含まれる。行方不明者などは含まれず、実際の死者数はさらに上回るとみられる。
    死者

 国連は2月、シリア内戦での死者が計7万人に達したとの集計を明らかにしている。


2日後
 
 シリア人権監視団(英国)は6月14日、シリアで2011年3月に反政府デモが本格化して以来の死者が9万4千人を超えたとの声明を発表した。監視団は死者が8万人を超えたと12日に発表したばかりだが、新たな情報に基づいて修正した。
 
 アサド政権を支えるイスラム教アラウィ派が多い西部タルトス、北西部ラタキアなどでの犠牲者数が、従来の情報よりはるかに多いことが判明したという。
                              死者4    死者5



 監視団によると、政権、反体制派の双方が自陣営の犠牲を隠す傾向があることから、実際の死者数は12万人以上と推定されるという。

             死者2
 
 シリア内戦による死者。

戦場ジャーナリスト

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  『ピュリッツァー賞


 ピューリッツァー賞は、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威ある賞である


【5月31日 AFP】
 2013年ピュリツァー賞(Pulitzer Prize)の授賞式が30日、米ニューヨークのコロンビア大学(で行われ、特集報道写真賞を受賞したフランス通信(Agence France-Presse、AFP)のフリーランスカメラマン、ハビエル・マンサーノ氏(37)に同大学のリー・ボーリンジャー学長から賞状と副賞1万ドル(約100万円)が贈られた

 マンサーノ氏が内戦が続くシリア・アレッポ(Aleppo)で昨年10月に撮影した、穴だらけの壁から日光が差し込む隠れ家に身を潜める反体制派の戦闘員の姿を捉えた写真は高い評価を受けた。
    作品賞


 マンサーノ氏は受賞に際し、「光栄だが、複雑な気持ちもする。多くのジャーナリストはこの気持ちが分かると思います」と話し、「現在進行中のシリア内戦は(政府側と反体制派の)双方に恐ろしい影響をもたらし、当面終わる見通しもたっていません。今回の受賞を機に、シリアからのメッセージ、そしてシリアで毎日のようにどんなことが起きているのか、もっと知ってもらえることを望みます」と述べた。

 
 ハビエル・マンサーノ氏の写真

   作品1   作品2   作品3


another voice

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  『 民主化を目指したはずの彼を何が弾圧に走らせたのか?



 現大統領、バッシャール・アル=アサド
どう現在に至ったのかを見ていきましょう。

1990年代前半、若かりしバッシャール・アル=アサドは、
ロンドンで眼科医を目指す研修医として勤務していました。

しかし、1994年、兄のバーセルが事故死したのを受け、急遽大統領の後継者候補と
してシリアへ呼び戻されます。

そして、2000年、ハーフィズ・アル=アサド大統領が享年69歳で心不全で死亡すると、
アラブで初めての世襲での大統領として政権を引き継ぎました。

眼科研修医から大統領へ-
そして、引き継ぐ政権は、徹底的な独裁体制の下での「警察国家」となったシリア。

この突然のあまりにも大きな転身を余儀なくされたバッシャールは、
この突然の運命のいたずらには困惑したに違いありません。
ましてや、イギリスという先進国に身を置いていた彼に、突然背負うことになった
この国の状況はどう映ったのか。。。

2000年、バッシャールが政権を引き継ぐと「腐敗一掃キャンペーン」を
開始します。
そう、欧州から帰った若き新大統領の目には、
警察への賄賂なしでは何も許されないシリアの恐怖政治が異様なものに映り、
その要因となる政治腐敗の一掃を掲げたのです。

つまり、彼は就任当初、非常にまともな人物だったのですよ

父親が政権を牛耳っていた当時の官僚の多くを更迭し
汚職を払拭した上で、それまで収監されていた政治犯を釈放し、
徹底的に弾圧してきた反政府勢力への扱いも緩和します。

さらには、禁止されていたインターネット使用も解禁し、
情報統制を解除しただけでなく、銀行や石油、セメント精製などの国営企業の
民営化を進め、外資を呼び込むためにダマスカスに証券取引所を建設。

それまでの徹底的に管理された時代にそぐわない社会主義体制に大きな
変革をもたらします。

この一連の民主化への彼の変革は、「ダマスカスの春」と呼ばれ、
その時点では、バッシャール・アル=アサドは「混迷のシリアを救う救世主」への
一歩を歩み出していたはずなのですが。。。


父親の代から続くシリアの極めて神経質な外交関係が、それを許しませんでした。

彼の就任翌年の2001年、あの9.11同時多発テロが勃発します。

当時、世界の脅威となったこのイスラム過激派の中で強力なグループは
アルカイダと、そしてあの「ムスリム同胞団」。
かつてシリアにおいて自分の父親が焼き討ちをかけたあの一派です。

アサド政権が国内外のそういった過激派から狙われる危険性が高まり、
バッシャールの政治は「治安の引き締め」という名目の下、
民主化の流れから逆行し、父親の時代の独裁体制へ戻っていきます。

さらには2003年、アメリカがイラクに侵攻し、フセイン政権が崩壊。
核の問題でイラク同様、以前から国際的に非難を浴びていたシリアにとって、
あの強大なフセイン政権が打倒されたことは大きな脅威となりました。

そして、フセイン政権はアサド政権と同じバース党による政権でした。
"バース党"というものがどんな党なのか正直知らないのですが、
同じような方向性を持った党であることは想像がつきます。

「次は自分かもしれない」

バッシャールは恐れます。

そして、民主化への動きを逆行させるようになります。

自分が解禁したはずのインターネット閲覧を再び制限。
(たとえば、シリアではYoutubeは見られないのです。)

さらには、言論の自由を制限。移動の自由を制限。
シリアは再び、秘密警察が暗躍する「警察国家」に逆戻りすることになったのです。


しかし、チュニジア、エジプト、リビアとアラブ諸国に伝播する民主化の波は、
いくら恐怖で押さえ込んでも完全に押さえ切れるものではありません。

2011年2月、ついにシリアでも民主化デモが始まりました。

そして残念なことに、完全な「警察国家」に逆戻りしていたシリアでは、
治安部隊が暴力的に民主化デモを取り締まりに掛かります。
3月には発砲による一人目の犠牲者が発生。

事態は泥沼化していきます。
しかし、携帯電話の電波を遮断するなど、政府は取り締まりを強化するばかり。

「民主化を力で押さえつければつけるほど民主化への希望の火が大きくなる」
という当然の論理に、既にシリアの独裁政権に染まってしまっていた
バッシャールは気づかなくなっていたのかもしれません。

民衆は暴徒化し、政府系の建物や知事の自宅などに火をかけます。
デモ隊もどんどん膨れ上がります。

さすがに事態に危険を感じたアサド政権は、ようやくここにきて
政治犯の釈放などの懐柔策を示しますが、時既に遅し。

同じような遅すぎる懐柔策が、他の国でもあった気が。。。

もうシリアのデモ隊の勢いは民主化が達成されるまで収まらないだろう、
というところまで膨れ上がります。

もう、アサド政権が生き残るには、弾圧しかなくなってしまいました。
そう、かつて父親がやってきた同じ道を進むことになったわけです。

前の記事でも書いた通り、少数派の一部の人間に権力が集中している
今のシリアにおいて、アサド政権が倒れれば、権力者たちの全てが終わるのですから。

しかし、かつて父親が焼き討ちで権力を保持できた時代と今は違います。

国際的にアラブの民主化への注目は高まっており、政府による国民の殺戮は
今や世界が見逃してくれません。

シリア国内でのデモ隊弾圧に対し、
アメリカのオバマ大統領が「著しく正義に反する」と非難の声明を出し、
そしてアラブ連盟が経済制裁への最後通告を出しました。

内戦状態に入ったシリアの顛末がどうなるかはまだわかりません。

しかし、かつて父親が作り上げた恐怖政治から脱却し民主化を目指した男が、
国際政治の波に翻弄され、結局、民主化の炎により窮地に追い込まれてしまった、
というのは何とも皮肉な事実です。

今後、この国がどうなっていくのか。
そして窮地に立つバッシャール・アル=アサドは何を考え、どう動くのか。

世界が注目しています。
                                      」

                                  アラブのわかりやすい話より

another voice

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 『シリアの内戦はなぜ起きたのか


 シリアの内戦はなぜ起きたのか?わかりやすく書かれた記事を発見したので、アップさせていただきます


 2年前、

 アラブ連盟が、アサド政権が反政府デモ弾圧を続けるシリアに対し、
暴力停止を求めた連盟の調停案が実施されるまで加盟資格停止とすることを決定。

そして、「3日以内にデモ隊への武力弾圧を停止しなければ、
アサド政権への政治・経済的な制裁を実施する。」と最後通告を行いました。

同じアラブの国々からここまでの強硬手段を採られるまでに陥ったシリア。

なぜシリアがこういう事態に陥ったのか。


 まず、シリアという国で何が起きていたのでしょうか。

これは、簡単に書くと、
「国の軍隊、警察がデモ隊を攻撃し、3500人を殺した」
ということです。

3,500人ですよ。とんでもない数です。
それだけの数の国民を、本来国民を守るべき警察や軍隊が殺しているわけです。

そして、それを指揮しているのがその国の大統領、ということです。

常識で考えたら、もう訳がわかりません。
日本で言うと、国会議事堂へのデモ行進を行うデモ隊を自衛隊や警察がバンバン
撃ち殺すようなものです。(極端な例ですが。)

なぜシリア政府はこんな残忍なことをするのでしょうか。
それを考えるには、近年のシリアの歴史について少し振り返る必要があります。

今から遡ること20年ほど、現シリア大統領・バッシャール・アル=アサド
ロンドンで眼科の研修医をしていた頃、当時のシリア大統領として
独裁政権を築いていたのが、彼の父親・ハーフィズ・アル=アサドでした。

実は、今シリアで起きているこの混乱に未だに大きな影響を与えているのが、
その今は亡き、先代大統領・ハーフィズ・アル=アサドなのです。

ということで、もう少しばかり
彼の歴史について掘り下げていくことにしましょう。

ハーフィズ・アル=アサドは、もともと山岳地帯の小さな村の出身者で、
イスラム教シーア派の中でもごく少数分派の「アラウィ派」の一派でした。

1970年、ヨルダンとの戦いにシリアが敗北した混乱に乗じて、
アラウィ派の軍の将校たちと組んでクーデターを起こし、政権を奪取します。

しかし、イスラム教スンニが全国民の76%を占めるシリアにとって、
シーア派の小さな分派であるアラウィ派である彼が政権を奪取したことは、
ただでさえ宗教間対立の起きやすいアラブにおいて、大きな不安定要素
になることは明らか。

そんな状況の中、ハーフィズは、多数派のスンニ派に対抗するため、
イスラム教シーア派、キリスト教徒といった少数派を保護し自陣営に取り込む一方で、
反政府勢力であるスンニ派、特に「ムスリム同胞団」への容赦ない弾圧を加えました。

どれくらい容赦ないかというと。

1970年代後半、ムスリム同胞団がテロ攻撃を仕掛けた報復として、彼らの拠点のある
人口密集エリアを集中爆撃し、焼き討ちを行いました。

その時の死者は実に4万人と言われています。
生き残った人々もその多くが逮捕され、拷問を受けた挙句、長い間収監されます。

こうして反政府勢力を力でねじ伏せ、完全に監視下に置いたアサド政権は、
国民への抑圧をエスカレートさせていきました。

アサド大統領への崇拝を強制され、情報を統制され、隣人は相互に監視させられ、
そして秘密警察による監視を受け、国民の権利は奪われ、反対分子の芽を完全に
摘み取られます。

そして、彼が死ぬまでの30年間、シリアは徹底的な監視体制の下での「警察国家」
へと変貌していきました。
警察への賄賂なしには、何も許されない世界になったわけです。

もう完全に恐怖政治ですね。

それにしても、なぜそこまで徹底的な独裁政治が敷かれることになったのか。
それはやはり、アサド大統領のアラウィ派が圧倒的に少数派だからです。

アラウィ派はシリアの中でも相当な少数派ですが、
世界のイスラム教全体で見れば絶対的な少数派です。
世界的なイスラム教の勢力でも、圧倒的にスンニ派の方が上。

そして、これまで徹底的に権力をはく奪されてきたスンニ派の人々は
一様に現体制への不満を抱いています。

そういった状況の中、今優遇されている警察、軍、官僚たちは、
もしアサド政権が打倒された時、完全に立場が逆転するであろうことを知っており、
また恐れています。

だからこそ、徹底的にその不満分子の芽を摘まないといけなかったわけです。

「自分に逆らう者は徹底的に弾圧する。」
死ぬまで、これがハーフィズ・アル=アサドという人のやり方でした。

そして、その後世襲で大統領になったのが、今のバッシャール・アル=アサド大統領。

ここまで書いてくると、今、アサド大統領が徹底的にデモ隊を弾圧しにかかる背景も
分かってきた気がしますね。

しかし、かつてはロンドンで眼科医を目指していたバッシャール。
当初から父親の独裁体制を受け継いだわけでなく、むしろ一時は民主化を目指た男です。

彼には彼の、今に行き着いた歴史があります。

民主化を目指したはずの彼を、何が弾圧に走らせたのか。

                                          」

                           わかりやすいアラブの話より

 民主化を目指したはずの現シリア大統領・バッシャール・アル=アサド氏を何が弾圧に走らせたのか?
続きは、次回アップします

不発弾の影響

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  『難民帰還で最悪の被害


国連地雷対策サービス部(UNMAS)のアニエス・マカイユ部長は、

難民たちが自国に戻った後に、地雷や不発弾による過去にない規模の被害が起きかねない。」

と、警告した。

シリアでは2年以上にわたり市街地で戦闘を繰り広げ、病院や学校も標的となっている

深刻な不発弾被害が問題になっているクラスター爆弾の使用も報告されている。

マカイユ氏は、「武器の扱いに不慣れな勢力も入り乱れる戦闘では、不発弾の割合が高まる」と指摘した。

UNMASは1月から、現地スタッフに地雷や不発弾の除去訓練を始めたという


クラスター爆弾   クラスター爆弾

容器となる大型の弾体の中に複数の子弾を搭載した爆弾である。クラスター弾、集束爆弾(しゅうそくばくだん)とも呼ばれ、昔は親子爆弾とも呼ばれた

ベトナム戦争では、ケースに野球ボール大の子爆弾を300個ほど内蔵し、その子爆弾ひとつの炸裂で600個ほどの金属球を飛散させる『ボール爆弾』が使用された。

この子爆弾は手榴弾や指向性の無い散弾地雷のように、炸裂周辺の人員や通常の車両など、非装甲標的に被害を与えるもので、加害面積は親弾の炸裂高度によって変化する


※不発弾問題     不発弾2


対戦車用の成型炸薬弾型など、爆発に指向性があるものは、弾頭部が下を向くようパラシュートやリボンなどで落下姿勢を調整するが、これが対地落下速度を弱め、落下場所によっては信管に十分な衝撃が加わらなかったり、リボンやパラシュートが木や建物に引っ掛かって不発となる場合がある。

クラスター爆弾の使用者側からすると、この不発弾の多さはむしろ長所となる場合もありうる

敵軍の軍事拠点にクラスター爆弾を投下すれば、不発弾によって、その拠点の機能回復を大幅に遅らせることができるからである。

しかしながら、戦闘終結後に不発弾に接触した非戦闘員が被害を受けることがありうるわけで、非人道的とされることもある


※戦闘後の被害     不発弾5


国際連合のレバノン南部地雷活動調整センターは、2006年8月までにレバノンで使用された旧式のクラスター爆弾で、子爆弾の4割が不発のまま残ったとしている。

この戦闘では、不発弾が市街地などに散乱しており、全ての撤去には1年以上かかるとされている。

残留した不発弾が戦後復興に影響する場合もあり、レバノンでは、戦闘中に避難していた市民が乗用車で戻ってきたところ、その車列で爆発が発生、驚いた市民らが車から降りて更に爆発が発生し、30分で市民15人が死傷したケースもある

中には木に引っ掛かった状態の子爆弾もあり、果樹園で取り入れを手伝っていた子供の死亡事例が多いと報じている。同年8月14日から10月22日までの間に、20名が死亡、120名が負傷したとしている


※不発弾の性質     クラスター爆弾3


クラスター爆弾の不発弾を「意図的に不発になるよう仕組まれており、復旧作業の妨害を狙っている」、「民間人(子供)の興味を引く玩具のような形状と色にして、拾うように仕向けている」、「地雷禁止条約の抜け道として、不発弾を地雷代わりにしている」とする批判がある。

しかし滑走路などの軍事目標に対して復旧を遅らせる目的で、爆撃終了後に爆発するよう時限信管を設定したり、あるいはクラスター爆弾でも子弾として地雷を混在させて使用することもあるが、不発弾は発生が偶発的で分布などをコントロール出来ないので「意図的な不発」や「子供を狙って」いるわけではない。玩具のようとされる形状は空気抵抗で落下姿勢などを調整するためのもので、明るい黄色などの鮮明な色に塗装されているのは、目に付く色で不発弾の存在を強調して触らないよう注意を促し、戦闘終了後の発見回収を容易とするためのものである

シリアの医療

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  『知っておきたい医療事情


衛生・医療事情一般    シリアの病院

 
 シリアの大部分は高原地帯からなりますが、北西部の一部が地中海に接しているほか不毛のシリア砂漠が多くを占めています。

 気候は沿岸部の地中海性気候と内陸部の砂漠性気候に大別され、ダマスカスは後者に属します。11月から3月までは雨季にあたり、それ以外は乾季です。

 気温は、夏の日中は40℃以上まで上昇することがありますが、夜は20℃前後まで下がります。一方、冬には氷点下まで気温が下がり、ダマスカスでも積雪が見られるなど、年較差、日較差ともに大きいのが特徴です。

 水道水は一般的に飲用に支障がないとされていますが、強い硬水であること、また給水タンクの衛生状態が悪いことから、飲用には水道水を煮沸するか、あるいは市販のミネラルウオーターの使用が勧められます。

 シリアの医療水準は、ダマスカスなどの大きい都市ではある程度設備の整った病院があって比較的良いですが、日本や欧米並の高度で親切な医療は望めません。

 公立病院は無料ですが、衛生度やサービス面で見劣りしますので、私立病院にかかることをお勧めします。但し、私立病院の医療費は高額です。

 地方で病気になった時はなるべく早くダマスカスなどの大きい都市に来て病院にかかる必要があります。


病気になった場合(医療機関等)       地図2


◎ダマスカス
(1)Shami Hospital(シャーミー・ホスピタル)
所在地:Malki West Park, Damascus、新市街のマルキー地区にあります。
電話:(011)-3735090、3734960、ファックス:(011)-3732316
概要:シリアで随一の設備を誇ると言われる私立総合病院(100床)。救急外来があり、24時間対応可能。外国人、邦人がよく利用しています。

(2)French Hospital (フレンチ・ホスピタル)
所在地:Baghdad Street を越えてAl Manameh Street、新市街のカッサー地区のバブトゥーマ地区寄りにあります。
電話:(011) -444-0460~1、ファックス:(011)-442-8072
概要:1903年設立、カトリック修道女会運営の私立総合病院(100床)。正式名称はSt.Louis Hospital (セント・ルイス・ホスピタル)ですが、通称フレンチ・ホスピタルで通じます。24時間対応救急外来やICUもあります。建物は古いですが比較的清潔で、在留邦人によると修道女の看護師による看護の評判がいいようです。医師、看護師長は英語、仏語可能です。

(3)Italian Hospital(イタリアン・ホスピタル)
所在地:Talyani Street, Damascus、新市街のイタリアーニ地区にあります。
電話:(011)-3326030、3326031、ファックス:(011)-3326032
概要:ローマ・カトリック系母体の経営する古い私立総合病院(50床)で、24時間対応可能です。

(4)Dr. Manhal Yazji(ドクトール・ヤーズィ)(歯科医)
所在地:West Villas, Mezzeh, Damascus、西メッゼ地区にあります。
電話:(011)-6114488、携帯電話:093-236367
概要:夕方のみの診療で、予約が必要です。歯冠治療が得意で、外国人がよく利用しています。


○アレッポ(北部にあるシリア第二の都市)

(1)St. Louis Hospital(セント・ルイス・ホスピタル)
電話:(021) - 2229678、ファックス:(021) - 2252151
概要:カトリック系の私立総合病院で、アレッポ在住の国際機関職員や在留邦人が利用しています。セント・ルイス・ホスピタルという名称ですが、ダマスカスのフレンチ・ホスピタル(上記ダマスカス(2)参照)とは別の組織です。


○ホムス

(1)Al Kendi Hospital(アル・ケンディ・ホスピタル)
電話:(031) - 2482259、ファックス:(031) - 489516
概要:築十余年の総合病院(60床)で、施設はやや古く、院内にはアラビア語表記のみです。英語可能な医師はかならず在駐していますが、看護スタッフは英語不可とのことです。外科、脳外科、眼科、循環器科、産科婦人科など、各科の対応が可能で、ICUもあります。


その他の詳細情報入手先       医療3


WHO(国連世界保健機関)
所在地:ダマスカス市のシリア保健省内
担当者:Dr. Nazar Elfaki(ナザール・エルファキ)医師
電話:(011) -3329315、ファックス:(011) -3330289
概要:国連世界保健機関シリア支部の技官で、シリアの保健衛生事情や、鳥インフルエンザなどの情報に詳しいです。


現地語一口メモ(アラビア語)    シリアの医療


病院 マシュファ
医者 タビーブ
薬 ダワ
注射 ハクナ
頭痛 スダ
胸痛 アラム・サドゥル
腹痛 アラム・バトゥン
下痢 イスハール
発熱 フンマ
吐き気 ガサヤーン
咳 スアール
切り傷 ジルヘ
歯科医 タビーブ・アスナーン
歯痛 アラム・アスナーン
具合が悪い。 マリードゥ
病院に連れて行って下さい。 フズニ・イラー・マシュファ
私は頭が痛い。 インディ・スダ


政府軍
                        
 2013年06月10日現在、シリア全土に「退避を勧告します。渡航は延期してください」という外務省の危険情報が発出されている。これは2011年3月からのデモ隊と治安当局の衝突に付随する治安の悪化によるもの。また、この衝突の如何にかかわらず、イラク国境周辺についてはイラク国内の情勢が安定しないことから、依然危険な状態にある

国連地雷対策サービス部

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  『UNMAS


 地雷対策活動の枠組み     不発弾

  
 多くの紛争地域や、紛争後の地域では、埋設された地雷や放置された不発弾により、子供や女性を含む地域住民の生命や健康に被害をもたらし、農地や居住地域が使用できなくなり、被災民や避難民の帰還や、地域の復旧・復興活動が妨げられる原因となっています。

 1992年には、当時のガリ国連事務総長が『平和への課題』と題する報告書を発表し、「地雷除去作業は平和維持活動の活動範囲の中でも特に強調する必要があり、平和構築活動が実施される場合の日常業務の回復にも非常な重要性を持つ」ことを示しました。

 この報告書を受け、1997年に、国連PKO局内に国連地雷対策サービス部(UNMAS)が設立され、国連組織内の地雷対策活動を調整し、国連PKO活動の一環として、地雷除去、政策提言、地雷回避教育、地雷廃棄、被害者支援等の地雷対策を行っています。

 このような一般市民の生活圏に関わる地雷対策活動は、戦場で軍の移動作戦に必要な軍事的な活動と区別し、人道的地雷対策と呼ばれます。
  
 また、国連における人道的地雷対策の動きと前後して、1996年10月にカナダの首都オタワにて、日本を含む70か国の政府代表や国際NGOが集まり、対人地雷の全廃に向けた会議を開催し、その後「オタワプロセス」と呼ばれる経緯を経て、1999年3月に対人地雷禁止条約が発効しています。


 国連PKOにおける地雷処理活動の経験   不発弾4  不発弾5


 UNMASは、現在8か所の国連PKOで直接的な支援活動を行っています。

 例えば、日本も施設部隊等を派遣している南スーダン共和国においては、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)の派遣を決定した安保理決議第1996号により、UNMISSに対して、地雷除去活動を行うことについて南スーダン政府を支援し、国際地雷対策基準に従って地雷対策を行うための南スーダン政府の能力を強化するマンデートを付与しています。

 これに基づき、UNMISSは、人道支援の目的での地雷対策に加え、UNMISSの活動や、難民・避難民の安全で継続的な帰還のための幹線道路の開設のための地雷除去、さらに、特に難民や避難民を対象とした地雷回避教育を行うとともに、南スーダン共和国政府の地雷対策局の能力強化を支援しています。


 日本による支援        不発弾3      クラスター爆弾


  
 日本政府は、対人地雷の全面的な禁止に向けた国際的な努力を一貫して支援しています。

 1997年に対人地雷禁止条約に署名して以降、1998年から2009年にかけて約390億円の支援を行ったほか、各国の地雷対策センターに専門家を派遣するなどの支援を行っています。

 また、UNMASの活動に対しても、「人間の安全保障基金」を通じて資金を拠出し、支援を行っています。

 今年3月末にも、UNMASを通じて総額830万ドルの人道支援の実施を決定しています。

 そのほか、日本のNGOも様々な形で地雷対策活動を行っています。

 たとえば上述した南スーダン共和国に関連して、南スーダン共和国の独立前から、スーダンにおいて「難民を助ける会」等の非営利団体が、UNMASやスーダン政府との連携の下で、地雷や不発弾の危険から身を守るための地雷回避教育用の教材作成とそれを使っての教育を実施するなどの活動を行っています。

 より多くの人々を地雷による被害から防ぎ、安心して暮らせる環境を作るためにも、ますます地雷対策活動の必要性は大きくなっています。

 国際社会、国連や国際機関、各国政府、そしてNGO等の市民社会が団結して取り組んでゆくべき問題であるといえます。

シリアの大統領

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  『バッシャール・アル・アサド大統領

       アサド大統領

1.氏名
 バッシャール・アル・アサド
 (故ハーフェズ・アル・アサド大統領の次男として誕生)

2.生年月日
 1965年9月11日生

3.主な経歴
年月       職歴等
1988年       ダマスカス大学医学部卒業(23歳)

1989年~1992年   兵役の一環として軍事病院に中尉として従事
          ダマスカス・ティシュリーン病院にて眼科を専攻
          眼科の学業継続のため、ロンドン大学に留学(27歳)

1994年1月      兄(バーセル)が事故死したため、ロンドン大学における留学を中断し、帰国(29歳)
          大尉に昇進
          ホムス士官学校装甲車科の士官訓練コースに11月まで従事

1995年1月     少佐に昇進(30歳)
          ダマスカス高等軍事アカデミー幕僚司令部訓練コースに6ヶ月間従事

1997年4月     上記訓練コース終了(32歳)
   7月      中佐に昇進

1999年1月     大佐に昇進(34歳)
   3月から各国訪問(3月ジョルダン、7月サウディ、8月クウェイト、10月オマーン、11月仏・UAE)

2000年6月     父ハーフェズ・アル・アサド大統領の死去(10日)に伴い、陸軍大将に昇進。軍総司令官
          に任命される(6月11日)
   7月     信任投票(10日)、宣誓式(17日)

2001年1月      結婚

2007年5月     国民投票によって再任される


4.家族
 2001年元旦、英国生まれのシリア女性アスマ・アッハラス嬢(スンニ派)と結婚。
 故ハーフェズ・アル・アサド大統領の次男(兄:バーセル=事故死、姉:ブシュラー、弟:マーヘル、マジド=病死)


5.その他
 父ハーフェズ・アル・アサド大統領が死去するまで、大統領特命事項(レバノン、汚職追放)を担当してきた。また、シリア情報協会会長として、シリアにおける情報化の旗振りを行ってきた。

2013・6/5

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  『ニュース

                化学兵器使用に根拠


 シリア内戦での戦争犯罪などの人権侵害を調べる国連調査委員会は4日、報告書を発表した。

 化学兵器使用疑惑について「使われたと信じるのに十分な根拠がある」としたが、アサド政権反体制派のどちら が使ったのかは特定できなかった。

 国連人権理事会が任命した専門家3人が、1月15日~5月15日に起こった戦闘を対象に難民ら計430人に話を聞い た。

 けが人や医療関係者らの話から、北部アレッポや首都ダマスカスねどで化学兵器が使われた可能性が高いとい  う。

 だが委員らは反発するアサド政権に入国を認められておらず「確実に使ったという証拠はない」としている。

                                                」

                                    朝日新聞記事2013・6/5より

日本人ジャーナリスト

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『Another voice』

山本美香

 内戦状態のシリア北部アレッポで、反体制武装組織に同行して取材していた日本人女性ジャーナリスト、山本美香さん(45)が銃撃戦に巻き込まれ、死亡した山本美香さんは独立系メディア「ジャパンプレス」に所属。日本テレビ系のニュース番組でキャスターを務めたこともある。

                 「知ってください...世界の子供たち」より

   山本美香さんが伝えたかったこと

内戦が続くシリア、アレッポで8月20日
日本人女性ジャーナリスト、山本美香さんが
取材中に銃撃戦に巻き込まれ
命を落とすという悲惨な出来ごとがありました。

政府・反政府の勢力が国内いたるところで
入り乱れての銃撃戦、
命を落とす危険は最初から付きまとっていたでしょう。

しかしそんな場所で、文字通り「命がけ」で
取材をしていた山本美香さん、
彼女を危険な場所へとかりだしたものは
何だったんでしょう。

彼女は常々「この悲しい現状を日本の人、
世界の人に、もっと知って欲しい。
特に日本の子ども達にもしっかり知って欲しい、
それが私の使命」と語っていました。              
                               子供2

シリアの内戦では多くの一般市民が犠牲になっています。
もちろんその中にはたくさんの子ども達も含まれます。

平和な日本の中で暮らす子ども達に、
こんな悲惨な光景など想像することも出来ないでしょう。

夜寝ていたら、突然銃撃戦が始まったり
爆弾が破裂するのです。
目の前でお父さんやお母さんを失くした子ども達も
たくさんいるはずです。
                               シリア子供

大けがをしても、医師の数もベッドの数も
治療のための道具も薬も充分ではないはずです。

もしかしたら日本なら助かるかもしれないケガで
命を落とした子どももいるでしょう。

こんな過酷な中でシリアの子ども達は暮らしています。
いやシリアだけでなく、世界の多くの紛争やテロで
子ども達はとてもこわい思いをしています。

シリアのニュースは山本さんの悲惨な出来ごとだけでなく、
毎日テレビや新聞で報じられています。

お父さん、お母さん
どうか、少しでもお子さんに世界のこと、
シリアのことを話してあげてください。
                               子供

毎日、ごはんを食べて、快適な部屋のふとんで眠り
朝起きたら学校へ行ったり、友達と遊んだり…
これはみんな「あたりまえ」のことではなくて、
世界の中でも限られたごく一部の国や地域だけの
とてもありがたい環境なのです。

子ども達にはそんなことも少しだけでも
理解してもらいたいですね。

そして思いやりや感謝の中で、優しい良い子に
育っていってもらいたいですね。
                               山本美香2
                                          
山本美香さんの思いも、きっと
そういうことだったと思うのです。
                             


                                カテゴリー【戦場の仕事】

シリアの子ども達

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  『子供達の今

 4人兄弟の母親は故郷の都市ホムスにいたとき、政府軍の砲撃で左腕を失い、腰と大腿に重傷を負った。再び歩けるようになるかどうか分からないと、医者は言った

 4人はアンタキヤ市内を転々とした後、昨年まで、ダマスカスで臨床心理士をしていたシリア人女性・フーダ・イドリースの下に身を寄せた
 
 イドリースは、少年たちが心に深い傷を負っていることに気付いた

 「彼らはひどく暴力的で、おもちゃで遊ぶ代わりに壊してしまう。食べ物の扱い方も乱暴。まるで心の中の怒りを吐き出しているかのように。
 
 イドリースが話している間も、少年たちはけんかを繰り広げ、叫び声を上げ、部屋をはい回る。「彼らは夜もあまり眠れない」と、イドリースは付け加えた。「悪夢で目を覚ましてしまう。

 悪夢とは、戦車や重火器が出てくる夢のことだ

 少年たちは夢の中で、大人に銃で撃たれる。時には自分が銃を持つこともある。3歳のイヤドは、イドリースが抱いていないと眠れない

 最近は自分が父親を撃つ夢を見るようになったという
 

 少年たちの父親と2人のおじは、反政府勢力に加わっていた。ホムスの家では戦闘や陰謀の話が盛んに飛び交い、市内では銃声や爆発音が何カ月も続いた。やがて流血の悲劇が少年たちの家族にも及び、おじの1人が何者かに頭部を撃ち抜かれて死んだ

 「僕たちはおじさんを家に連れ帰り、遺体を洗った。            空


 おじさんの子は壁や窓に頭を打ち付け、最後には窓を全部割ってしまった」と、兄弟の1人アブドゥル・アリムは振り返る
 
 少年たちの母親が重傷を負う直前、長男のハカムは一家で避難していた学校の2階へ行き、別の爆発で足を負傷した

 父親と病院へ行っている間に、今度は母親が大けがに見舞われたのだ。そのとき、3人の弟たちは母親と一緒だった。「子供たちは心の中に、とても強い恐怖心を抱えている。」と、イドリースは言う

イスラム教☆

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  『イスラム教・シーア派とスンニ派
                                     イスラム教


 イスラム教創始者である預言者ムハンマド(マホメット)の後継者問題を争点に、多数派のスンニ派と異なる教義を展開したのがシーア派。

全イスラム教徒の約9割がスンニ派だが、イラクではシーア派が人口の約6割、南部では圧倒的多数を占める。

旧フセイン政権ではスンニ派が権力を握り、シーア派は弾圧されていたが、政権崩壊後は暫定統治機関、統治評議会の過半数を制するなど政治の表舞台に。

最高権威アリ・シスタニ師が絶大な影響力を持つ一方、対米強硬派の指導者ムクタダ・サドル師が貧困層の若者の支持を集め勢力を伸ばしている。         ムクタダサドル師


世界のイスラム教徒人口の一〇~二〇%を占めるシーア派は、イスラム教社会を率いる正統な指導者は誰であるかをめぐる意見の相違から、イスラム教主流派から分離した。

シーア派は、イスラムの指導者は預言者マホメットの子孫であるべきだと考えている。一方スンニ派は、指導者はイジュマアと呼ばれる合意によって選ばれるべきだと考えている。

シーア派は、預言者マホメットの従兄弟・義理の息子で、七世紀にカリフ(イスラム教世界の最高指導者)の地位についていたときに殺されたアリー・イブン・アビ・タリブを崇拝している。彼の墓はイラクのシーア派の聖地であるナジャフにある。
       ナジャフ                コーラン



イスラム教の慣習という点では、シーア派とスンニ派の間には細かい点でしか違いがない。例えば、シーア派は数ヵ月あるいは数日と期限を定めてムータと呼ばれる一時的な婚姻を行うことが認められているし、シーア派はスンニ派とは異なる相続法に従う。

神学に関しては、多くのシーア派はスンニ派が「公式の」教義とする運命予定説は信じず、人間の選択の自由を信じている。

シーア派は、公認されたイスラム教指導者にはイスラム法や教義を解釈するイジュティハードと呼ばれる慣行を行う権利があると考えている。
                            イスラム

一方、『イスラム』の著者であるファズラー・ラーマンによれば、スンニ派にとっては、少なくとも神学的には「イジュティハードの扉」は閉ざされている。
             イスラム対立

                                                

2013・5/31

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  『ニュース     ロシア


 シリア「すでに入手」

「                                  S300.jpg
                         
 シリアのアサド政権にロシアが防空ミサイルシステムS300を供与したかを巡って、情報が交錯している。

 アサド大統領はS300がすでに届いたと語ったが、ロシア側は明言を避けている
 隣国イスラエルは、アサド政権がS300を入手すれば軍事行動も辞さないとしており、緊張が高まっている。
                      s3002.jpg     S3003.jpg


 S300は、ソ連時代に開発された地対空ミサイルシステムで、米国製地対空誘導弾「パトリオット」のロシア版  だ。航空機や弾道ミサイルなど、同時に複数の標的を迎撃できる高度な能力を持つため、シリアと敵対するイス ラエルは脅威とみなし、ロシアに輸出を中止するよう求めている。

 ロシアの有力紙「コメルサント」は、S300の供給契約は2010年に結ばれ、すでにその一部は納品されたと報 じている。                                                                                      」
                                                   
          パトリオット     ロシア国旗     パトリオット3
                                    
                               朝日新聞2013・5/31記事より

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