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ランボルギーニ

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  『ランボルギーニ』

将来ランボルギーニに乗りたいと思っています。
そこでランボルギーニを買うには年収どれぐらいあれば手がとどくでしょうか?

ランボルギーニ・ディアブロを前提として、御話し致します。
先ず、イタリア人の物作りは、非常に悪いです。例えば、最近のムルシェラゴにも有りますがバンパー等のボルト1本にしても、取り付け忘れや、ミスが多く有りますし、取り付け方が悪く左右のバランスが取れて無い事が有るので新車は、避けるべきですね。
中古車の場合ですと、前オーナー様が、一通りメンテナンスを施してる事が有りますので、購入されるので有れば、多くの台数を抱える(在庫を持つ)専門店や、完全自社工場で修理・部品入手が出来るショップで購入する事を御勧めします。

次に、ランニングコスト(維持費)ですが、オーナー次第です。外車・国産車を問わず、どの様な車でも、コマ目に消耗部品や壊れやすい部品を交換する人と、壊れてから交換や、修理をする人とでは、全く違って来ます。
また月に、どのくらいの距離を走行するのかでも大きく変わりますし、非常にシビアな車ですので、ランニングコストの月平均は、¥5万~30万円です。

燃費は、1ℓ=2~5kmです。平均で1ℓ=3kmが普通ですね。もちろん高速ですよ!また乗り方も、普通の車と違い、エンジンの回転数を比較的、上げた状態で走行しないと成りませんので、正直なところ、一般道での法定速度は、無視する様な乗り方に成ってしまいます。

この他には、購入費、保険が別に掛かりますし、ミッション等を壊した場合には、工賃が非常に高いので¥50万円以上は、覚悟が必要ですね。年間の収入は、最低¥500~800万円有れば、ギリギリって感じですね。ただ、所有出来る金額ですので、余裕は、有りませんよ。

これがランボルギーニのすごさだ!!クリック☆

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アサド支持者

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  『一つの情報』

シリア国民の大半がアサド支持で反体制派はごく一部だと聞きましたが。

 政権側、反政府側共に捏造・誇張報道が多いし、反政府派を露骨に支援している欧米や湾岸アラブ諸国のメディアも信用できない…ということで、シリアを巡る正確な情報は掴みにくい状況です。

 ただ、シリアの有権者の半数以上がアサド政権を支持していることは、今年の2度の選挙と、(敵対している)カタールのアンケート結果で明らかです。シリア軍が空爆を実施したので、現在は少し支持率が下がっているとは言われていますが、欧米の報道のような、政府vs国民ではありません。

 また反政府派への国民の支持は非常に低く、1割程度だろうとはロシアの分析です。確かに先日UAEで行われたサッカーの試合でも、正式なシリア国旗を振って盛り上がっている人々に比べ、黒・白・緑の反政府派の旗を振る人は数える程度。フランクフルトやパリでのシリア人のデモも、政府支持者のデモの方が圧倒的に参加者が多い…
反政府派のテロ行為や誘拐、外国の介入に対する反発の現れでしょう。

映画を見よう

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  『ゼロタウン』

作品解説
1982年のレバノン戦争を背景に、国や文化、年齢も人生観も異なる男と少年の命がけの脱出劇と友情を描いたサスペンスドラマ。レバノンの首都ベイルートで撃墜された戦闘機パイロットと、敵対するパレスチナの難民の少年が出会い、追手から逃れて生き延びるため、協力して国境脱出に挑むことに。当初は互いに不信感を抱いていた2人だったが、協力し合う過程で次第に友情を育んでいく。

上演時間
110分
                        ゼロタウン

作成年
2012年

見ました。
当たり前と思ってることは、当たり前ではないことを知ってしまったとき、とてつもない恐怖が襲ってくる。日本で見ているだけの私にも襲ってくる恐怖。
本当に感じてほしい。今、実際起こっていることなんです。実感することが生み出す心は、きっとこれからの生活を大きく変えることになると思います。

風船を浮かせる

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  『ヘリウム』

ヘリウムガスといえば、宙に浮かぶバルーンや吸い込むと声が高くなる"ドナルドダックボイス"がすぐに思い浮かぶほど身近な気体ですが、半導体製造や医療機器でも使用される重要な材料でもあります。しかし、現在ヘリウムは世界的な供給不足の状態にあり今後、その傾向がいっそう強まる危険性があるようです。

ヘリウムは、水素に次いで軽く化学的に極めて安定で、かつ沸点が最も低い物質であるなどの特長を持つため、浮揚用ガスや冷却剤などの工業材料として広く活用されています。ヘリウムは水素に次いで宇宙で2番目に豊富な元素ですが、地球上では大気にわずか0.0005%しか含まれておらず空気中からの採取は極めて困難であるため、一般的には天然ガスの産出時の副産物として採取し精錬されます。

ヘリウムの貯蔵量はアメリカが最も多く、全世界の貯蔵量の約3分の1を備蓄し、全世界の商用ヘリウム生産量の約80%を占めています。アメリカにおけるヘリウムは、テキサス州アマリロの米国連邦ヘリウム貯蔵庫に備蓄されています。1925年に開業したこの施設は、当時、飛行船用のガスを供給する目的で運用されていましたが、やがてソ連との冷戦が激化し宇宙開発競争が進むなか、アメリカ政府により戦略的にその備蓄量は増大されました。しかし、冷戦が終結した1990年代にアメリカ政府の負債が増大するのに伴い、過大に備蓄されていたヘリウムの一部を除きすべて民間企業に売却する法律(Helium Privatization Act of 1996)が制定され、2015年に備蓄分をすべて売り切り米国連邦ヘリウム貯蔵庫は閉鎖されることが決定しています。

2013年3月

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  『ババアムル地区』

アサド大統領の弟・マーヒル・アサド麾下のシリア国防衛隊第4機甲師団が、反体制派の「自由シリア軍」が防衛している拠点・中西部ホムスのババアムル地区に突入、制圧した。

「自由シリア軍」は「戦略的撤退」としているが、劣勢を覆うべくもない。市民を巻き込んだ戦闘で死者がかなりの数にのぼっている。

シリア政府軍は、反体制派の拠点となっている中西部ホムスのババアムル地区を制圧した。反体制派の自由シリア軍は、同地区から「戦略的に」撤退したとしており、反体制派の鎮圧を進めているバッシャール・アサド政権にとって1つの転換点になる可能性もある。

アサド大統領の弟で同国防衛隊第4機甲師団を統括するマーヒル・アサド氏は同師団の地上部隊を投入し、掃討作戦を展開していた。

27日間連続でホムスを砲撃してきた政府軍は、ババアムル地区での反体制派掃討作戦を開始。攻撃は続き、反体制派は撤退を開始した。

大部分が政府軍の離反兵で構成される自由シリア軍の司令官、リヤド・アサド大佐は、反体制派は「残った民間人を守るため、戦略的に撤退した」と述べた。

鑑賞の手引き 用語

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  『シャビハ』

 シリアでの反政府運動が起きたころからシャビハという名前が出ている。アサド大統領の私兵集団、民兵、右翼組織、ならず者集団といろいろマスコミでは書いているが、実態は不明で、規模も、その活動費の流れも、政権内部の位置づけも不明。はっきりと写真が公開された事もないと思う。今回、首都ダマスカスで「シャビハ」が反政府民間人を強引に拉致する様子のビデオというのがYOUTUBE映像で流れた。見れば完全に私服で、恐らくアサド支持派を装い市民に紛れ込み、抗議する反アサド側市民を片っ端から暴行しながら車に詰め込んでいる。ヘルメット姿の警官らしき者も手伝っているから暴行は認知されているのだろう。

西側マスコミでは「 pro-Assad militia :アサド私兵、民兵」と書くので、制服でも着た集団かと想像していたが、これを見る限り公認された私服暴力集団で、警察でも軍隊でもない。
シリアの市民のブログでも、この集団は何をするかわからないと相当恐れていた。政府側治安部隊が街から姿を一時的に消しても、これでは何の意味も無い。アラブ監視団もこの集団の存在は知っているはずだが、一度も言及していない。政府側は、一度は刑務所の民間人を釈放したが、まだ相当な人数が秘密の場所に監禁されているという。

この、弾圧、殺戮、拉致、拷問を止めないアサド独裁政権と、市民側反政府側が、和平協議で平静を取り戻せるとはとても思えない。

人間の盾

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  『事実』

拘束した子供を政府軍の戦車に乗せ、「人間の盾」に利用している政府軍。
まさに狂気の沙汰です。
もう完全に政府軍や政府支持派に、国民が虐殺されている状況。

シリア自身での解決を期待するのはもう不可能に近いでしょう。

私もこうなるのか?

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  『ニュース』

シリアで妊婦を標的とする狙撃横行か、英医師が証言

内戦が続くシリアで、妊婦を標的にした狙撃が横行している可能性があると、同国でボランティアに携わった英国の外科医が19日、語った。

 英チェルシー・ウェストミンスター病院の血管外科医を務め、トニー・ブレア元首相などの治療を行った経験もあるデビッド・ノット医師は、過去20年間、ボスニアやリビア、コンゴ民主共和国などの紛争地帯で緊急手術医のボランティアを続けてきた。

 シリアの病院で5週間にわたるボランティア活動に従事後、帰国したノット氏は、英紙タイムズのインタビューに応じ、シリアで治療した銃創から、退屈した狙撃手らが遊び半分で妊婦を標的にしている恐れがあると語った。「ある日は股間を撃たれ、また別の日は左胸を撃たれていた。朝一番に来た患者から、その日1日にどのような患者が来るかほとんど察知できるほどだった。あれは(狙撃手たちの)ゲームだったのだ」

 1日に6人以上の妊婦を治療した日もあった。また別の日には、銃創患者が2人連続で妊婦だった。そして2人ともが胎児を失った。「女性たちは全員、子宮を撃ち抜かれていた。そこが彼らの狙いだったのだろう」とノット氏。「普通、民間人は交戦に巻き込まれるものだ。こんなこと(民間人を標的とした狙撃)を目撃したのは初めてだ。あれは故意だった」

たばこを吸う

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  『アラビア語の勉強』

作品中に、アラビア語が登場します。

 たばこを'吸う

<例文>
من إيمتى كنت تدخن؟‏
いつからタバコ吸ってたんだ?

طول عمري بدخن.‏‏
ずっと吸っているよ。

الله يصلحك، ما بصير تدخن بهالعمر.‏‏
その歳でタバコなんか吸っちゃダメよ。

إذا بتريد، ممنوع التدخين هون.‏‏
ここでは禁煙でお願いします。

マリー・コルビン

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  『片眼の女性戦争特派員』

  marie.jpg

マリー・コルビン氏
生年月日:1956年1月12日
生まれ:ニューヨーク州オイスターベイ
学歴:イェール大学卒業
受賞歴
2000:Journalist of the Year
2000:Courage in Journalism
2001:Foreign Reporter of the Year
2010:Foreign Reporter of the Year
2001年のスリランカ取材中、爆発の破片で片目を失明
30年以上にわたり数多くの紛争を取材してきた

【マリー氏の最後の記事】‘We live in fear of a massacre'
タイトル「私達は大虐殺の恐怖と隣り合わせ」
内容
目前で2歳の幼子が左胸を負傷、息を引き取った。
政府軍による砲撃は容赦がなく、大量殺戮(さつりく)の恐怖が広がっている。

▼経歴
≪大学卒業後≫
UPI通信社で報道記者
≪1984年≫
UPI通信社パリ支局長
≪1985年≫
イギリス・サンデー・タイムズ紙に入社
≪1986年≫
中東紛争の特派員
≪1995年≫
外交問題の特派員
≪2010年から2011年≫
「アラブの春」でチュニジアやエジプト、リビアを取材
≪2011年から2012年≫
2011年シリア騒乱を取材
≪2012年2月23日≫
シリア西部ホムスで死去(55歳)

ある記事を読む

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  『事実』

シリア秘密警察 日本人軍事ジャーナリストにスパイ嫌疑

 化学兵器攻撃は政府軍によるものであることは間違いないといっていいだろう。子どもを含む一般住民を化学兵器で殺害するなど、世界でも過去最悪の極悪非道な政権というしかない。

 しかし、筆者は当初から、アサド政権は独裁体制を守るためなら、どんな非道なことでも躊躇しない政権だと確信していた。それには個人的な理由があった。

 私事になるが、じつは筆者の元妻はダマスカス出身のシリア人である。親族に支配政党「バース党」の党員はおらず、政府機関の関係者もいない。多数派であるスンニ派に属するごく普通の家系で、シリアでは、秘密警察の監視下にある一般国民の側といっていい。筆者は元妻と結婚してからこの20年間、シリアを何度も訪問し、かの国の社会と、元妻の親族を通じて深い繋がりを持った。

 シリアではシリア人男性と外国人妻という例は珍しくないが、シリア人女性と外国人夫という例は非常に少ない。行くたびに空港で、別室に連行され、結婚の経緯や筆者の素性などを事細かに尋問された。

 筆者と元妻の親族は、秘密警察「アムン」(総合治安局)の徹底的な調査対象となった。アムンは公安専門機関で、アメリカあるいは日本政府のスパイとの嫌疑をかけられた。

 また、おそらくもうひとつの秘密警察である「ムハバラト」(総合情報局)の監視対象でもあったはずだが、ムハバラトは完全に裏の組織なので、どのような監視・調査を受けていたかは筆者にも詳細はよくわからない。また、筆者は当時、海外の紛争地取材を専門として、いわゆる戦場カメラマンをしていたため、自分の職業を「海外の風景などを撮るカメラマン」と説明していたが、メディア関係者ということでも警戒された。

 日本にいるときも、東京・乃木坂のシリア大使館に何度も呼び出された。紳士的な雰囲気ではあったが、筆者が何者であるか、さまざまな質問を受けた。筆者はとくに何も感じなかったが、同行した元妻は大使館内では、端でみてわかるほど緊張し、がくがくと霙えていた。一般のシリア人にとって、アサド政権の政府機関はそれほど恐ろしいのだ。ちなみに、当時筆者たちを担当した公使(後に代理大使になった)は、シリアで強大な権力を持つ特殊部隊司令官の実弟だった。

 本国の親族も、ダマスカスのアムン事務所に何度も呼ばれ、徹底的な尋問を受けた。シリアでは、国際結婚の最終承認を外務省や内務省ではなく、アムンが行うのだが、彼らが筆者の婚姻を最終的に認定したのは、シリア外務省が結婚届を受理してから10年も後のことだった。

 シリアでは秘密警察の目が街中に張り巡らされていた。筆者と元妻が日本語で会話していたとき、なにげなく「アサド」という単語を口にしたら、居合わせた義弟に「日本語でも絶対その名前を話すな」とよく注意されたものだ。

 シリアでは、どこでも大統領の写真が溢れていた。最初は先代のハーフェズ・アサド大統領と、その後継者となることが決まっていた長男のバーシル・アサドの写真。長男が1994年に交通事故死した後は、父アサドと次男のバシャール・アサドの写真である。露骨な個人崇拝の強制だった。個人崇拝、言論統制、国民の徹底監視、それに独裁政権の世襲に至るまで、シリアはまさに北朝鮮と同じだ。筆者は北朝鮮にも一度行ったことがあるが、シリアは北朝鮮の警察国家的な雰囲気に、アラブ特有の猥雑なエネルギーを足した感じに思えた。

 そんな国だから、2011年3 月に民衆デモが蜂起したとき、彼らの気持ちは痛いほどわかった。あの国で政権に異議を唱えるということが、どれほど危険を伴う行為かを知っている筆者からみると、立ち上がった人々の勇気は賞賛に値する。

 筆者はシリアにいる親族や友人たちとフェイスブックやスカイプで連絡を取り合い、民衆蜂起の経緯を日本からフォローし続けた。デモの主導グループとも知り合い、その中心人物のひとりとは、同年7月に隣国レバノンで直に会った。もちろん親族や友人の多くも、デモに加わったり、反体制活動の支援を行ったりした。

 義兄はアムンに1週間拘束された後、国外に逃れて反体制組織に加わった。義弟もアムンに逮捕され、4カ月も拷問を受けたが、親族が多額のワイロで釈放させ、国外に逃がした。だが、70歳代の叔父は街中を歩いていて政権側民兵のスナイパーに射殺され、叔母の姪にあたる女性は乗っていたミニバスが政府軍に銃撃されて、小学生の子ども2人ともども即死した。運よく犠牲者は出なかったものの、筆者がシリアに行くたびによくしてもらっていた叔母の自宅は、政府軍の砲撃で全壊した。筆者の親族が特別なのではない。シリアでは誰もが同じような目に遭っていた。

シリアの年表

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  『これを知ってれば』

1961年     シリアは、「シリア・アラブ共和国」を宣言する。
同年~1973年 シリアとイスラエルの対立で、4度の大規模な戦争。
1962年以来 シリアは、非常事態法の下、憲法による国民の保護は事実上停止されている。

1963年 シリアで、バアス党が政権を樹立。(バアス革命)
1966年 シリアとエジプトは、イスラエルに対して、防衛協定を結ぶ。
1967年 シリアは、第3シリア中東戦争で、ゴラン高原を失う。
1970年 バアス党で急進派と穏健・現実主義派が対立。クーデターにより穏健派が実権を握る。(矯正運動)
1971年 ハーフェズ・アル・アサドが大統領に選出された。
1976年 シリアは、レバノンに平和維持軍を派遣し、軍事介入。ムスリム同胞団はこれに反対し、政府へ敵対。
1980~1988年 イラン・イラク戦争。シリアは、イランを支持した数少ないアラブの国。
1982年 古都ハマで、ムスリム同胞団による大規模な暴動。政府はこれを鎮圧。「ハマ―虐殺」(死者数一万人以    上)
2000年 ハーフェズ・アル・アサド大統領死去。(就任から虐殺された死者数25,000人以上)
同年 アラブ初の父から子への権力移動。息子バシャール・アル・アサドが大統領に選出。「世襲共和制」

2004年 カーミシュリー事件。クルド人とアラブ人による、反政府暴動。(死者数百人以上)それ以降、クルド人     活動家と政府組織の衝突、続いている。

2005年 バシャール・アル・アサド大統領は、国連の説得を受け、レバノンから完全撤退。

2007年 バシャール・アル・アサドが大統領信任投票で圧勝。2期目に就任。
同年 シリアでは法律で、インターネットカフェはオンラインチャットにおける全ての投稿を記録することが    義務づけられる。

2010年 ジャスミン革命。チュニジアで起こった民主化運動。
同年からアラブの春。アラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主    とした騒乱。

2011年1月シリア騒乱。「シリア政府に対する抗議」から始まった。
同年以降抵抗の金曜日。金曜礼拝後に各地で反体制デモが行われ、合わせて数千人が参加。
同年7月自由シリア軍(FSA)武装組織つくられる。
同年12年国際連合人権高等弁務官事務所が、シリアを事実上の内戦と発表。

2012年1月アル・ヌスダ戦線を結成。
同年6月 バシャール・アル・アサド大統領が公の場で「シリアは、真の戦争状態にある」と発言。
同年11月シリア国民連合を結成

2013年7月国連の潘基文事務総長がシリア内戦の犠牲者が10万人を超えたことを発表。
同年8月シリア内戦で化学兵器が使用された疑いがあると発表された。

DJラジオ番組

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  『好きな音楽』

ココロージー☆kokoroji-.jpg

ココロージーは、ココことビアンカ・レイラニ・キャサディとロージーことシエラ・ローズ・キャサディから成る、アメリカ合衆国のニューフォーク・デュオ。ロックバンド

モリッシー☆もりっしー

モリッシーは、イギリス北部・マンチェスター出身のミュージシャンである。1980年代はザ・スミスのボーカリスト・詩人(作詞者)として活動。サッチャー政権下で不況に喘ぐ若者たちに絶大なる人気を博した。

ピンク・フロイド☆pinnkufuroido.jpg

ピンク・フロイド は、イギリス出身のロック・バンド。サイケやブルース、フォークなどを織り交ぜたオーソドックスなロックにけだるい叙情と幻想的なサウンドを醸し出させた音楽性、大掛かりな仕掛けとスペクタクルに富んだライブ、現代社会における人間疎外や政治問題をテーマにした文学的、哲学的な歌詞で世界的に人気を博した。

カラシニコフ銃

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  『とても単純な兵器』

 カラシニコフ銃2
AK-47 - ミハイル・カラシニコフが設計した突撃銃。その名称は「1947年式カラシニコフ自動小銃」を意味し、AK-47及びその派生型の総称として「カラシニコフ銃」の言葉が使われている。

中東やアフリカなどの紛争を伝える映像がテレビに流れる時、よく目にする銃である。

この銃が登場したのは60年も昔のことだが、いまだに100ケ国以上の軍隊や 警察で使用されている。旧ソ連以外にもたくさんの国々で生産されたため、累計製造数は約1億挺と推定されている。間違いなく歴史上最も大量に生産された兵器だ。

ただし、現在の水準からみれば、AK47の性能は決して高いとは言えない。 それでも様々な戦場でいまだに使用されているのには理由がある。「AK47は泥水に浸けても射撃できる」と言われるほど、どのような悪条件下でも確実 に弾丸が出るのだ。前線の兵士にとって、これほど心強いことはない。

砂塵の舞う砂漠や湿度の高いジャングルであっても、普通の軍用銃だと、頻繁に掃除をしないとすぐに射撃不能になってしまうが、そういった地域でも、射撃のレベルが低くても、武器整備の面で悪く、ろくに手入れしなくても誰でも簡単に射撃できる。
だから、AK47が重宝されるのである。

考えます。 

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  『ニュース』

<ノーベル平和賞>OPCWが何をしたというのか…シリア

シリアで化学兵器の廃棄に向けた活動を続ける化学兵器禁止機関(OPCW)のノーベル平和賞受賞が11日、決まった。だが、シリアでは連日、激しい戦闘が続き、市民の犠牲者が増え続けている。「平和」とかけ離れた生活を強いられているシリアの人々の目には「世界はシリアの現実から世界は目をそらせている」と映っている。

 「化学兵器禁止機関がシリアで何をしたというのか。砲撃は続き、毎日、市民が殺されている」

 8月に化学兵器が使用されたシリアの首都ダマスカス郊外のグータ地区に住むムハンマド・タイブさん(21)は、毎日新聞の電話取材にあきれたように言った。タイブさんによると、11日も政府軍の砲撃は続き、自宅周辺は停電しているという。

 グータ地区の反体制派の野戦病院で働く男性は「化学兵器と通常兵器の何が違うのか。ミサイルや銃撃で苦しみながら殺される方がむしろ残酷だ」と指摘。化学兵器を特別視する国際社会への不満を表した。

 在英の反体制派組織「シリア人権観測所」によると、アサド政権と反体制派の武力衝突が始まった2011年3月以降の死者数は、9月までに11万5000人を超えた。化学兵器による犠牲者は、このうち1~2%程度でしかない。

 国連によると、国外に逃れた難民は約217万人、国内避難民は約500万人に上る。人口の約3分の1が自宅を追われた計算だ。内戦が続けば、14年末には難民が500万人を超えるとの試算もある。

 自宅に残れたとしても生活は過酷だ。ダマスカス郊外の反体制派支配地域では12年11月以降、電気や水道が遮断されている。政府軍が包囲しているため、食料や医薬品が欠乏し、飢餓の懸念も高まっているという。

 タイブさんが言った。「本当にノーベル平和賞にふさわしいのは、内戦を終結させられる人たちだ」

デモで初めて、こう言った。

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  『心の底から出てきた言葉』

「ash- sha`d yurid isqatan-nizam」

「民衆が政権を倒す!」「民衆が政権を倒す!」「民衆が政権を倒す!」

世論を盛り上げ、国際政治にプレッシャーをかけたい。

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  『ニュース』

<シリア難民>日本人男性がヨルダンで支援

「何よりも暴力の連鎖を止めるのが大事」と訴える田村さん
 終結の糸口すら見えない内戦により、膨大なペースで増え続けるシリア難民。その窮状を見かね、東京での会社勤めを辞めて隣国のヨルダンに移り住み、支援に奮闘する日本人がいる。国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員としてシリアに赴いた経験のある田村雅文さん(33)。「難民はあまりに多く、支援は『ざるに水』。暴力の連鎖を止めるのが最優先だ」と訴える。【河津啓介】

 「どんな理念を掲げても、暴力で子どもたちに未来が残せるとは思えない」。昨年7月からヨルダンの首都アンマンで暮らす田村さんは同年12月の夜、シリアから避難してきた「兄弟同然」の友人からそう聞かされた。

 この友人は避難の途中、放置された死体を小学生の娘に見せないよう苦心していた。田村さんに「この思いはマサが外国人だから話せる」と語り、内戦停止を口にすれば周囲に「アサド(大統領)が有利になるだけ」と非難されかねないと打ち明けたという。

 田村さんは大学卒業後の2005~07年、青年海外協力隊員としてシリアに赴いた。環境教育活動に従事し、「よそ者を受け入れるホスピタリティー」に魅了された。帰国後、会社員になっても現地や在日のシリア人と絆を育んだ。

 しかし11年3月にシリアの混乱が始まると「親しい人が苦しむ姿に、自分も戦争を体験している気持ちになった」。約1年後に退社、シリア駐在経験のある日本人仲間と支援団体「サダーカ」(事務局・横浜市)を設立した。サダーカとはアラビア語で「友情」の意味。昨年7月からアンマンで団体職員として働きながら、妻子と暮らす。日本側の仲間と連携し、避難先で困窮するシリア人に生活資金や物資を提供している。

 現地で痛感するのは人道支援の限界。国連難民高等弁務官事務所によると、ヨルダンには50万人以上のシリア難民が避難し、今も日々2000人のペースで増えている。「とにかく、きりがない。支援する方もしんどいし、シリア人にとっても十分ではない。誰もハッピーになっていない」

 避難の長期化で支援ニーズも衣食住だけでなく雇用、教育など幅広くなっている。国際機関やNGOの支援は量も質も追いつかない。イスラム教徒は互助意識が強いが、周辺国の負担は限界に近い。支援仲間のあるヨルダン人は田村さんに嘆いた。「もう疲れた。我々の生活までおかしくなってしまう」。難民急増で賃貸物件の相場が上がり、ヨルダン人が「仕事を奪われた」と不満を抱く。難民流入が周辺国に新たな火種を生んでいる。

 それでも、田村さんたちを突き動かすのは「平和を諦めない」という信念だ。「世論を盛り上げ、国際政治にプレッシャーをかけたい。シリア人が伝えられない思いを発信する責任と義務が我々にはある。」

知っといてほしいこと

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  『アサド大統領は、アラフィー派』

シリアの国の90%がイスラム教徒で、そのうちおよそ75%がスンニ派で、12%がアラフィー派なんです。
        無題

シリアの国を支配しているのは、みんなアラフィー派なんです。

ダマスカスのホテル

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  『これがシリアの高級ホテル』

Four Seasons Hotel Damascus。

ダマスカスのダウンタウンの中心にあって、美しいパブリックガーデンや古代のモスクとともに時代を超えた美しさを漂わせるFour Seasons。各国大使館やビジネス、ショッピング、文化施設へも至近で、ダマスカスでの宿泊先や各種イベントの開催地として抜群のロケーションです。

ロビー
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スイートルーム
スイートルーム

ゲストルーム
ゲストルーム

ダイニング
ラウンジ

プール
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シリアの観光ガイドブックといえば

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  『Lonely Planet Israel & the Palestinian Territories 』

シリアの観光ブック(アラビア語)といえば、「Lonely Planet Israel & the Palestinian Territories」!!

劇中に登場するかもしれません。
       888.jpg
覚えてて損無し。

最新ニュース

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  『何が真実なんでしょうか?』

「内戦は存在しない」 シリア外相が国連演説

 シリアのムアレム外相は30日、国連総会の演説で「シリアに内戦は存在しない。これは対テロ戦争だ」と語り、反体制派をテロリストと位置付ける従来の主張を展開した。

その上でムアレム外相は、「テロ」と名指しした反体制派について「正義も平等も認めず、権利や法を無視する」存在だと強調した。

国連安全保障理事会の決議に盛り込まれた化学兵器の廃棄については、安保理決議には言及しないまま、シリアは約束を守り、化学兵器禁止条約を履行すると強調。「同時に国際社会にも、中東での大量破壊兵器拡散に対する責務を負うよう求める」とした。

さらに、「テロリストにそうした武器を供給している者たちが法的責任を果たすかどうか」という未知の要因が存在すると述べ、国際社会による反体制派支援の動きを牽制(けんせい)。「我が国で毒ガスを使ったテロリストは、周辺および西側諸国から化学物質を供給された」と訴えた。

危機打開に向けた動きについては、シリア政府は政治的解決を望んでいるとしながらも、「罪のない民間人を犠牲にするテロリズムは容認しない。モスクや教会が破壊されるのを見過ごすわけにはいかない」と強調した。


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