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アラブの春

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        『アラブの春』 
                                    金の塔

 アラブの春とは、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せている。各国におけるデモは2013年に入っても継続されている。

ことのきっかけは、
 2010年12月17日、チュニジア中部シディ・ブジドにて失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジが果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして警察が商品を没収。これに抗議するためにガソリンをかぶり火をつけ、焼身自殺を図った。チュニジアでは失業率が公表されている14%よりも高く、青年層に限れば25~30%という高い水準に達しており、同様に街頭で果物や野菜を売り生計を立てる失業者も多かった。
  このトラブルがブアジジと同じく、大学卒業後も就職できない若者中心に、職の権利、発言の自由化、大統領周辺の腐敗の罰則などを求め、全国各地でストライキやデモを起こすきっかけになったとされている。
 
 次第にデモが全年齢層に拡大し、デモ隊と政府当局による衝突で死亡者が出るなどの事態となった。やがて高い失業率に抗議するデモは、腐敗や人権侵害が指摘されるベン=アリー政権の23年間の長期体制そのものに対するデモとなり、急速に発展していった。その後、チュニジアの政権は崩壊した。
 
 このチュニジアでの一連の出来事をジャスミン革命という


 このチュニジアの出来事は、瞬く間にアラブ諸国へ伝わった。
 エジプトでは2011年1月25日より大規模な反政府抗議運動が発生、これにより30年以上に亘るホスニー・ムバーラク大統領下による長期政権が崩壊した(2011年エジプト革命)
 また、立憲君主国のバーレーンでも反政府運動が計画され、政府は給付金を全世帯に給付するなど対処したようにみえたが、首都マナーマの真珠広場で行われた中規模反政府集会を政府動員の治安部隊が強制排除し、死者が出る事態となっている(2011年バーレーン騒乱)
 カダフィ大佐による独裁体制が敷かれているリビアでも、カダフィの退陣を要求するデモが2011年2月17日に発生、2月20日には首都トリポリに拡大し放送局や公的機関事務所が襲撃・占拠され、軍はデモ参加者に無差別攻撃を開始し多数の犠牲者が出た。政府側はサハラ以南のアフリカから多額の時給で民兵を雇用し、反政府派も施政権が及ぼなくなったとされる東部や南部を武器をとり掌握するなど勢力を拡大、首都での戦いが避けられないという見方が報道によりなされた。これをうけ国連安保理は「民間人に対する暴力」としリビアに対し経済制裁と強い非難決議を採択した。その後、半年間に及ぶ事実上の内戦状態に突入したが、NATOによる軍事介入などの支援の成果もあり、8月24日には首都トリポリが陥落、42年間に及ぶカダフィ政権が崩壊した(2011年リビア内戦)
 
 さらに、シリアでもアサド政権側の政府軍と反体制組織等による事実上の内戦状態に突入しており、死者数が数万人に及ぶなど泥沼化している(シリア内戦)
 
 一方でこれらアラブ諸国の情勢に便乗して、イランはエジプトやバーレーン、イエメンの野党・反政府勢力に接触し、影響を与えることを画策しているとの見方もある。なお、アラブ諸国の中でデモなどの動きがほとんどない国としてカタール、アラブ首長国連邦が挙げられる

 また、これまで権力を独占してきた政権が崩壊した混乱により、軍が保有している武器が政府のコントロール下を離れテロリストに流出しており、テロリストの武装強化や凶悪化に繋がる事態にもなっている

 アラブ諸国以外への波及
現政権に対するデモなどの動きはアラブ以外の諸国にも広がり、中国共産党一党独裁下である中華人民共和国でも、チュニジアのジャスミン革命に追随しようとする運動の呼びかけがインターネットの掲示板等に書かれ、当局はネット規制とデモ場所によびかけられた北京王府井での警備体制を強化した。この他、ロシアやイスラエルなどでも大規模なデモが発生している

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