「TTP(パキスタン・タリバーン)」
『パキスタンのイスラム武装組織「パキスタン・タリバーン(TTP)」』
今日2013・7/16のニュース
パキスタンのイスラム武装組織「パキスタン・タリバーン(TTP)」は16日までに、国際テロ組織アルカイダと共に、シリアの反体制派に援軍を送り込んでいることを明らかにした。
TTPの幹部はCNNに対し、戦闘部隊の第一陣は既にシリアに到着し、シリア反体制派に協力するための拠点を設置したと語った。「シリアの同胞が必要とするあらゆる支援を提供する」としている。
別のTTP幹部によれば、これまでに120人の戦闘員がシリア入りし、週内にさらに150人の部隊を送り込む予定だという。
戦闘員はシリアにいるアルカイダ幹部の要請を受けて派遣したもので、シリアではアルカイダの指揮下に入るという。
TTP幹部はさらに、地元の支部に対してもシリアに行く意思のある戦闘員をスカウトするよう要請していると説明、多数の若者が志願していると主張した。
ただしパキスタン国内にもまだ戦闘員が多数いて、同国内での作戦も継続すると話している。
※イスラム武装組織「パキスタン・タリバーン(TTP)」
誕生
ターリバーン側の主張によると、ムハンマド・オマルが20人の同志とともに始めたものだとされている。
またターリバーン隊士がイスラム教の聖書「クルアーン」を学んだ場所は、国境付近の難民キャンプの教員が整っていないムハンマド・オマルの開いた神学校であった。
この神学校出身者が、結集時のターリバーン隊士になる。
彼らが蜂起したきっかけはムジャヒディーン軍閥が二人の少女を誘拐したことへの抗議活動であった。彼らは無事少女たちを解放し、この出来事から地元住民らから正義の味方としてあつかわれた。
発展
「アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)」を参照。
内戦が続くアフガニスタンにおいて、ターリバーンは1994年頃から台頭し始めた。
彼らはマドラサと呼ばれるイスラム神学校の学生たちが中心であり、ターリバーンが快進撃を続け、軍閥を追い散らし、治安を安定させ秩序を回復するようになったので、住民たちは当初ターリバーンを歓迎した。
当時、アフガン市民たちは、長年にわたる内戦とそれに伴う無法状態、軍閥たちによる暴行、略奪などにうんざりし、絶望感を抱いていたため、治安を回復するターリバーンの活躍に期待した。
しかしその後、ターリバーンがイスラム教の戒律を極端に厳格に適用し、服装の規制、音楽や写真の禁止、娯楽の禁止、女子の教育の禁止などを強制していくにしたがって、住民たちはターリバーンに失望するようになった。
1998年にターリバーンがマザーリシャリーフという町を制圧した際に、住民の大虐殺を行った。
特にハザーラ人を標的に虐殺を行った。これは、ターリバーンがパシュトゥン人からなり、パシュトゥーン民族運動の性格を併せ持つことを示すエピソードとなったと指摘されている。